3分小説 『視線ひとつで救われる』【B面】
夢、を見たような気がする。
いつものように路上ライブを終えて、アパートに帰ると家財道具の全てが取り払われた、がらんどうの自分の部屋で。がらんどうという言葉を実際に使う日が来るなんて。
あまりにも目の前の光景が信じられなくて、がらんどうとぎゃらんどぅーって響きが似てるな、なんてくだらないことを考えた。
それくらい何もかも全てがなくなっていた。
数分経ってやっと状況を理解するも、これからどうすればいいのかもわからない。三年以上付き合ってきた彼女になんの前触れもなく捨てられた、俺。
しかも、家にあるもん全部持って逃げられるってなんだよ。あまりにもアホらしくて情けなくて涙より笑いが込み上げる。
ふ、ふははは、と笑いながら、いつもの癖で口許を拳で押さえると、まるでそれがスイッチだったかのように、ポロリ、と涙が手の甲に落ちた。
あー今の俺、めっちゃアホや。
アホや、アホ……何度自分を罵っても、この状況は変わりやしない。
それでも溢れでる涙はとどまることを知らなくて俺は泣きながら膝から崩れ落ちた。
そのまま泣き疲れて眠ってしまった俺は、がたがたという物音で目を覚ます。
俺が腫れあがった目蓋をこじ開けるが早いかアパートのドアを開け、驚いた様子で固まる禿げ頭のおっさんが視界に入った。
誰だよ、まさか借金取りじゃねぇよな、と睨みをきかせ改めて見やると、そのおっさんはこのアパートの管理人だった。
「あ、あれ? この部屋は昨日引き払われたはず……君まだここ住んでんの?」
俺の知らないところでアパートの契約まで切るって、どこまで徹底してんだよ。いつしか俺は、かつての恋人に対して悲しみよりも、憎しみを募らせた。
とはいえ、いつまでもここにいるわけにもいかず、唯一の所持品であるギターケースを背負うと俺は管理人への挨拶もそこそこにアパートを抜け出した。
外に飛び出すと陽は思ったより高く、俺の胸をも焦がすほどジリジリと暑い。いっそ俺のことなんか焼き殺してくれたらいいのに。
そう一度考えてしまうともう、それ以降はそのことしか考えられなくなる。
俺、これからどうしよ……
公園に足を踏み入れたのはただの気まぐれだった。たまにこの公園に来ては、ベンチに腰掛けてギターの練習をしていた。
俺、やっぱりアホだな。なんでこんなところに来たんだろう。ここが彼女と出会った場所だというのに……
いくらひどい振られ方をしようとも、一度は惚れた女、そう簡単に忘れることなんか出来やしない。むしろ、忘れよう忘れようと記憶の箱に蓋をしようとすればするほど箱の隙間から楽しかった思い出がどんどん溢れ出す。
今までだって何度も喧嘩してきたというのに一体何がいけなかったのだろうか。
いなくなった女に、いつまでも囚われ続ける自分が情けなくてやりきれない。
まるでそんな今の俺の心情を反映するかのように、さっきまで晴れ渡っていた空には雨粒を含んで重くなった雲が連なり始めた。ゴロゴロと轟く雷の音を耳に、感電死するんも悪くないかもしれないな、と新たな考えを思い描いた。
身体中をぶつ雨水に耐えられなくなって膝を抱えてうずくまる。
どうせこんな雨の中、公園に訪れようとする人なんかいないだろう。
悲しいはずなのに、今の自分の状態があまりにも滑稽で、思わず笑いそうになるのに、雨ではない生ぬるいものが頬を濡らす。
矛盾した感情と行動に戸惑いながらも、もうこのままでいっか、と思ってしまうのは、俺がこれから生きることを放棄しようとしているからかもしれない。
どれくらいその状態でうずくまっていたことだろう。
不意に自分の肩に軽い衝撃を感じて顔を上げた。すると俺のその動作に驚いて立ち尽くすひとりの女が目に入る。なんだ、こいつ。
苛立ちに任せてキッと睨むと、そいつはそのまま固まってしまった。でも、そいつが俺を見つめる瞳は決して俺を哀れむものではなくて。なんというか、視線があったかい。それでいて今の姿はアホ丸出し。
そのギャップがあまりに面白くて、俺はつい吹き出してしまう。
「くっくっくっ……!」
一応、気を遣って声を抑えて笑っていたのだが、その声が女にも届いてしまったらしく
「……んな!」
と俺の変化に驚いて慌てふためく姿がまた俺の笑いを誘う。
「あーっはっはっ…!」
人間って大声を上げて笑うだけで、こんなにも心が洗われるものなのか。
「なあ」
「……はい?」
「ありがとう」
ありがとう
こんな俺を笑わせてくれて。
ありがとう
こんな俺を生かしてくれて。
せっかくだから、こいつの教えてくれた天使の梯子とやらを歌にでもするか。
(20130808)
昨日の作品
の男性目線ですね。
天使の梯子というものを初めて知ったのは、同名のこちら。
でも恋愛小説だったことしか記憶になく……
生まれ変わるなら雲になりたい! というほど私は幼い頃から雲を眺めるのがとにかく好きで。といっても雲の種類に詳しいわけではなく自転車や車の後部座席から雲を見てはよく妄想を繰り広げていただけなのだけれど🙈
だから“天使の梯子”という言葉を知って以来、人間には羽がないのだから梯子に頼ったっていいじゃん! と考えたら、なんとなく心が軽くなった気がした、ということが伝わっていたらいいなと思いましたとさ👼💕