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7分小説 『ハットトリックな帽子』


 その人は、出会ったときからいつも帽子をかぶっていた。雨の日も風の日も。もちろん日差しの強い日も。屋外でも室内でも。食事中だろうと、入浴中だろうと、睡眠中だろうと。

まるで体の一部にでもなったかのようにいつ何時でもその人は帽子をかぶっていた。


あるときにはハット、またあるときにはキャップ、キャスケットやニット帽……と帽子の素材や種類は違えど、その人が私の前で帽子を脱いだことはこれまで一度もなかった。

だから私はその帽子の中には何か重大な秘密が隠されているんじゃないかとずっと勘ぐっていた。

実はスキンヘッドなんじゃないか、帽子の下で鳥でも飼っているんじゃないか、はたまた帽子を脱ぐことで常人には出せないパワーを発してしまうから、それを抑えるために帽子をかぶっているんじゃないか、と。

そうやって勝手にその帽子にまつわる秘密を想像して楽しんでいたから、ある日何の前触れもなく平然とその人が帽子を脱いだとき、私はとても驚いた。

「あれ?」
「……なんだよ」
「帽子は……?」
「やめた」


正直私はちょっとがっかりした。

帽子をかぶるのをやめた真人はまことは禿げてもいなければ、鳥を飼っているわけでも脱いだ瞬間にスーパー大魔王になるわけでもなかったから。

「なあんだ」
「脱いだ理由、聞かねえの?」
「聞いてもいいの?」
明香さやかだけには知ってほしくなったから」

すると真人はぽつぽつと帽子をかぶらずには生きられなくなってしまった理由を語り始めた。

最初はただの気まぐれだった。

だから別に常にかぶってないと落ち着かないということもなかったそうだ。


けれど一度、帽子をかぶっているときに大きな契約が成立したことがあったそうだ。

その後もなぜか帽子をかぶっているときの方が自分が放った冗談が以前よりウケるようになり、初対面の人とも緊張せず話せるようになり、営業成績がぐんぐん伸びた。

これまで日の目を見るような機会がなかった真人は自分の世界がどんどん広がっていくのを肌で感じた。

その一方で、それらが帽子を頻繁にかぶるようになってからの変化だと気づいてしまった真人は、いつしか帽子を脱いで生活するのが怖くなった。

「仕事でのことなら、無理に私の前でもかぶらなくて良かったのに」
「脱いだら嫌われそうな気がして」
「そんなことあるわけないじゃん」

そう、そんなことあるわけないのに。

帽子という武器を手に入れたがために、真人は丸腰の状態になることを恐れ、人を心から信頼できなくなった。

帽子をかぶってない俺は周囲の思う俺じゃない=みんなに嫌われる、そう勝手に思い込んでいた。

だから仕事は上手くいってるはずなのに真人はいつも眉間に皺を寄せ、イライラしたように貧乏揺すりをし酒と煙草と女に溺れた。

「……俺ってかっこ悪いよな」

でも、長い間帽子で押さえつけられて変なクセのついた髪の毛を揺らして項垂れる真人を見ていたら

「そんなことないよ」

その弱さを責め立てる気にはなれなかった。

「私は帽子かぶってる人って無条件に尊敬するもん」
「は?」
「だって私、帽子似合わないし、汗っかきだからすぐ蒸れて我慢できなくて脱いじゃうから」

我慢強い人なんだな、すごいなと思っていたことを素直に答えたら

「……なんだそれ」

とさっきの私より拍子抜けした顔を見せた。

「私こそ、なんだそれだよ」
「だな」
「うん」

ようやくあらわになった真人のつむじが愛おしくて思わず指の腹で撫でる。一瞬ビクッとしたものの、すぐに安心したように目を細めてくれてほっとした。


ああなんだろう。
この扱いにくい猫を手懐けた感じは。

「それにしても、なんで突然帽子を脱ごうと思ったの?」
「……初めてだったから」
「何が?」
「俺の帽子を無理やり脱がそうとしなかった人」
「なんだそれ」
「だから、ちゃんと話そうって思えた」

真人が話す度に変なクセのついた毛がぴょこんと跳ねる。ああ、隠されていたこの髪の毛もちゃんと生きてたんだなあ。

「真人が打ち明けてくれたから、この際私も打ち明けるけど」
「うん」
「実は一回だけ脱がそうとしたことあるよ」
「え、まじ?」
「うん、まじ」


 それはひとつのベッドで初めて眠った夜のこと。

ニット帽をかぶったまま眠る真人があまりにも汗だくになっていたから、蒸れて暑いんじゃないかと手を伸ばした。

そこに好奇心がなかったわけじゃない。

だけど、私が帽子に触れた瞬間、眠っていたはずの真人が嫌そうに唸りながら、私の手を払いのけた。無意識のうちに脱ぐことを拒否するくらい大切なものなのだとそのとき思い知った。

「だから、帽子が真人の一部ならそれもそれでありかなって思ったの」
「ふぅん」
「帽子をかぶっててもかぶってなくても真人は真人だよ」
「……ありがと」
「でもひとつだけ文句言ってい?」
「なに?」
「どうせなら、脱いだ瞬間に鳩の一羽くらい出してほしかったな」
「ふはっ」
「だってこんだけ待たされたんだもん。もう少し面白い展開期待してたのに」
「そりゃ、悪かったな」
「ま、いいんだけどね」

あの日、私に真実を打ち明けたからといって真人が完全に帽子をかぶるのをやめたわけではなかった。

眠くてだるくて、仕事に行きたくない朝でもメイクをすることでなんとか今日も頑張るぞ!スイッチを入れる私と同じのように真人は相変わらず帽子をかぶっていた。

でもそれも二人で話し合って決めたのだ。

それが真人にとって験担ぎなら、それでいいっしょ!と。

「ただいま」
「おかえり」
「ん」

玄関まで迎えに行くと、真人はかぶっていたハットを私に手渡す。それまで張りつめていた表情がふっと柔らぐ、その瞬間が私は好きだった。

「今日もお疲れさま」

と声をかけたら、あどけなくて頼りない顔で真人は笑った。

そんな彼のことを知っているのは私一人だけで十分だ。


(20170617 改編)

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