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耳を塞ぐ…「ごめんなさい」

新年早々…フラッシュバックが止まらない。

私にはいくつか決まったフラッシュバックのシーンがあるが、ここのところ連日繰り返されている夢…フラッシュバックがある。
弟の死から妹が生まれる前までの幼児期。
激しい怒りを伴うものではなく、胸がギュッと締め付けられ、悲しい苦しい涙が溢れてくる…ボディブローのよう。
そして必ず呟く
「ごめんなさい、ごめんなさい…」と。

「お前の躾が悪い」

幼児だった私は毎日午後8時に布団に入る。
一度は眠るものの1~2時間で目が覚める。
茶の間からは

「お前の躾が悪い」

決まってこのことばで父が母を追い詰める。

アルコールの入った父は制御が効かず、大音量で母を罵倒し始める。
母は何も言わないが、アルコールは負の力を増幅させ、父は自身のことばに更に激昂し机を叩き、食器を手で払い、怒声にも力が籠っていく。
今、冷静に傍観すれば、父の一人芝居だ。

ただ、当時、3~4歳だった私は
布団に潜り、膝を抱え、両耳を塞ぎ
「ごめんなさい」と
謝りながら泣くことしかできなかった。

「お母さんは私のせいで怒られている」

布団の中の私は、そう思っていた。
そして…何もできなかった。
母が罵倒されているのに、助けてあげられない自分のことを
「弱虫で何もできない…私さえいなければ」
幼いながらも、そう責めていた。

自己否定をする後遺症

このシーンは、人格形成の最も大切な幼児期に繰り返された現実であり、その後の私自身の思考の根幹となるものだ。

自己否定感の定着
自身の存在を認められない無価値感
いい子であろうと過剰に振る舞う
他人(父)の顔色を窺った行動
自己犠牲を美徳とする

このような人格が育成され完成される。
大人になった今でも
この思考はなかなか抜けてはくれない。
いわば後遺症のようなものだ。
「私が我慢すれば丸く収まる」
最終的にこの思考と行動で収めようとする。

そして
このような不安定な状態で育っていくと
見捨てられ不安が強く
自分の価値を他人に認められることで満たそうとする…
いわゆる愛着障害、愛着スタイルの
「不安型愛着スタイル(未解決型)」の典型のような人格が完成されていく。

「ごめんなさい」に耳を傾ける

ここ最近はこの夢ばかり見る。
毎朝のように「ごめんなさい」と涙しながら起きる。
加えて、父の怒声に震える動悸と過呼吸、苦しくて仕方ない大量の汗…
目覚めてからのフリーズと悲しみの感情。
負の連鎖が止まらなくなる。

思い込もうとする。

「私は何も悪くない」
「母も悪くない」
「幼い私が母を助けられないのは当然」

フラッシュバックの余韻が抜けないまま
また夜を迎える…

あの頃と同じように
布団に潜り込む時間が近づいてくる…







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