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自己紹介っぽいのを少し試してみる~過去編③(完)

 私”フカンしてみると”の自己紹介その3です。
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※2024.3.24/3.26/3.29
 本文、小見出しなど一部加筆修正しました。

 その2から引き続き、ある特徴(特性かな?)を切り口として、私の感じていることを述べて、自らの一面を説明したいと思います。

 ワードとしては、直観、多様性、仕事観って感じでしょうか。



9.直観と直感も違うようだ

 自分は勘がはたらく方だと人から言われるが、思うにその勘は「直観」だと思う。

 直感ではなくて。

 紛らわしいが、直""のほうはそこまで働かない。  

 以下、wikipediaから

 直観は本能とは異なっている。本能は必ずしも経験的な要素を必要としない。

 
直観的な基礎による見解を持つ人間は、その見解に至った理由を即座に完全には説明できないかもしれない。

 しかしながら、人間は時間をかければ、その直観が有効である理由をより組織化して説明するべく論理の繋がりを構築することで、直観を合理的に説明できることもある。

 ・・・付け加えるならば直観を前提として具体的な問題を正しく説明したり解決に導くためには多くの経験と知識、理解が必要でもある。

Wikipedia

 というのも、知識や経験(+興味・関心など)が乏しい分野に関しては基本的に働かない。

 仕事上はよく働くが、プライベートは基本働かない。

 スイッチオンオフ的な集中力の問題だと感じている。

 だいたい仕事に全振り特化している。
 特に良いことではない。ただ、そうであるというだけ。

 本能的な、いわゆる直感とは違う感じだ。
 十分な知識や経験を必須とすると思われるから。

 また当然ながら、予知でも予言でも預言でもない。
 つまり超自然的な「特別な何か」ではない。

10.バックグラウンド処理からの連鎖反応?


 さて、あくまで私の個人的感覚で、このメカニズムを表現するならば。

 自分で意識的に把握できる範囲上でイメージしていないだけで、無意識に並列処理がはたらいているような。

 いわばPCのデスクトップ上に表示されていないだけで並行してバックグラウンド処理はずっと稼働し続けているような。

 そんな感覚が近いか。

 その代わり、寝ても覚めても並列処理に常に脳のリソースなりがもっていかれている感覚もある。

 それによって消耗がとても激しく、疲労困憊する。 
 その点もPCのそれと類似しているかも。

 そして処理中に何かのきっかけで必要なピースが揃った瞬間に、一気に連鎖し直観が発動する。

 ピースは一見まったく関係のない分野で獲得されることも多い、というか、むしろそのほうが多い気がするため、TPO的に唐突で意味不明な印象を与えてしまうことも起こりうる。

 その様子は、まるで別の世界に没入している印象を与えるようで、このような状態の間は周囲への注意力散漫となりやすいし、周囲の人たちからもそのように見られる。

 しかも普段は人並み以上に観察力があり、変化を見抜く(それはそれで警戒心を呼びやすいらしいが)ので、なおさら、サボっているかフザけていると決めつける人もいるようだが。

 むしろ”極度の集中”によって起こる。

 いわばゾーンに入ったみたいな。そういったイメージ。

 正直、ハタから見ると意味不明な行動基準と捉えられがちだが、本人の中では一貫性と合理性があり、ただのKYではないのがミソ。

 特長として、その時点では本人以外にとって一見TPOの文脈関係なく、まるで無関係と思われていたピース同士だったり相互の状況が、実は事態に大きく影響しあっていたと、のちのち判明し周囲の認識が追いつくというケースが多数生じる。

 まるでいきなり複雑な方程式の「答え」だけが先に出てきて、あとから時間労力をかけて「途中式」の検証が追いつくような。

 事態が進み状況変化が認識される段階になって、実はあの時あの場であの内容しかないと。
 つまり結果的にはTPOとしてベストタイミングだったと、後でようやく周りの理解が追いつくようになるが、それまでは散々批判されたりマイナス評価を受けたり。

 そういうパターンが、ちょいちょい起こる。

11.取扱い方の工夫とか?人材の有効活用ってやつ


 普段は安定重視なのだ。

 だが、ふとしたきっかけに、まだ起こっていない将来予測、例えば、組織を取り巻く環境変化が近く発生する予測、その予測を手掛かりにした課題解決の提案、を具体に述べたりする

 そういったケースの場合、周囲の信認を得ていない場合、基本スルーされ、考慮すらされない。

 信認を得ていてもやはり考慮されない場合のほうが多いが、環境変化の予測は嫌なものとして、反射的に拒む傾向がある(お役所仕事的な本能)から、そもそもハードルが高い

 マネジメント業務に就く前のこと。

 個人的に向いていないとの自己分析もあった。
 就任に抵抗があったし、正直、拒否したい希望もあったのだが。

 最近の風潮だと珍しくもなくごく当たり前に拒否は聞くが、まだ一般的でない当時(パブリックセクターだともちろんいまも基本拒否できないが)
 
お前自身の適性・才能は関係ない。個人としてより適性がある業務分野があったとしても、だ。』

『お前以上に管理部門出来る人間が全国に何人いるんだ。名前挙げてみろ?いないだろ?』

他者と比較して今の業務で十分以上に優秀なのだから、それだけをやっていればいいんだ。

と上司のさらに上の上司(つまり実質的人事権者)から直に言われたり。

 まさにThe平成時代の飲み屋での人事交渉?の図式。
 こんな感じに説得される。さすがに断れなかった。

新橋あたりの飲み屋さんでの一幕

 こんな感じで大体は、一面的・単線的で活かせずにいた「個人の何か」
 
 確かに平均以上の結果はコンスタントに得られる組織のマネジメントスタイル


 その中ではプラスαではなくマイナスの邪魔扱い。

 
だがしかし、ごくまれに上手く適応できる人が周囲特に上司にいると、途端に邪魔扱いだった何かも、「組織の強み」のアドバンテージに変貌する。

 マイナスどころか掛け算的にプラスに転換し、誰も真似のできないような圧倒的なインパクトの業績をあげることができるようになり、実際にあげてきた。

 平均以上の安定をある程度キープしつつ、インパクトも上手く得る両獲りは相当難度高いイメージがある。

 個人レベルではほぼ無理。だが組織レベルならマネジメント次第で余地はある。
 
 とはいえ、実はそんなに複雑な対処法は必要ではないと思う。

 例えば、私がゾーン(笑)に入っている間はたぶん「分析」「考察」フェーズなので、しばらくほおっておいて、現実(笑)に戻ってきたら「で、何か気づいた?思いついた?」とか聞いて、情報を得ることができたり。

 あるいは、行ったっきり戻ってこないであんまり長引くようだと「おーい戻ってこい」と現実(!)に呼び戻したり

 私の見たところでは、そうやって手綱を握っていたのかもしれない。取り扱い方の意識的な工夫として。

 そういえば本人も言っていた。

 その人に言わせれば、多少変わった方法であっても、どうやら誰も真似のできない、ベストかも知れない、価値ある気づきなどを新たに得られるなら、せっかくなので上手く活かしたほうが、よっぽど意味がある

 正直とっさに理解はできないが、これまでの実績から判断して「大体使えるから」それでいいや、という発想だったらしい。

 つまり加点方式をうまく活かしているのだろう。
 減点方式に囚われた人だとたぶんそれはできない。

 繰り返しになるが、普段は実務に長けて安定重視だし、たまに独特のタイミングで直観発動という感じなので。

 安定と直観の両方活かせるならば、むしろそのほうがいいでしょう?と。

 そう合理的に割り切れるかどうか・・・でも、お役所仕事には要求水準高いのかも。

 ちなみに自分自身のイメージとして、「観察」「分析」「考察」「実行」といった各フェーズがかなりはっきりと区分されていると自己分析。

 スイッチが切り替わるように各フェーズに適合させた特徴が自動的に出る。別の側面が強調される。それが時に別人のように映るらしい。

 変化を敏感に察知し空気読む時は「観察」、実務処理の判断決定の時は「実行」のようにスイッチが自動で切り替わる。

 それを多面的と指すのが適切か分からない。

 結局は、人材の才知を活かし、より大きなことに貢献させることができるか、組織や上に立つ者の姿勢とか器量度量とか次第なのだろうな。

 なんというか、人事戦略、人材マネジメントにおけるある種の投資というか、自分の目先のコスパ・タイパよりも組織や、より大きな視点での中長期的リターンを見極め価値を置くことができるか否か。

 自分で言うのもアレなのだが。
 あえて「俯瞰的に」言うならば。
 そういった存在を使いこなすのは大変だろうが、リターンもでかい。

 なので、そこで上の人の器量だけに依存しない、組織的ノウハウというか有為の人材活用のナレッジをシステムで補いたいところだろう。

 自分自身の関係する話なのに、他人事の評論みたいになってしまった。

12.個人の適性より他者との比較??


 つまるところ、私個人の過去については、むしろ管理的能力の技術や経験のほうこそ重宝され、評価されることがほとんど。

 中には適性や才能とその成果を口頭で評価する人も何人かいるが、『記録上の評価結果には反映はできない』といわれたり。

 でもその理由については、たいがいダンマリ。

 ある時、1回だけ言われたのが、『加点方式だと数値振り切って、測定不能なので、減点方式でやらざるを得ない』とか何とか。

 それ本人に言われても、と思いつつも、正直に本音を言ったんだろうな、とも。少し申し訳なさそうだった。

 たしかに現行システムというか、慣行がまさにそうなんだよなー。

 自分が評価する側の時を思い返しても、その慣行の圧力たるや相当。
 
 上からも下からも横からも外からも、来るからなー。

 そんなこんなで、特に直属の上司からは、たいがいの場合、適性・才能は無視か、むしろマイナス評価が多い。

 取り扱いが面倒なためか、そもそも理解ができないか、個人的な嫉妬や脅威を抱いたか、あるいは外からの圧力に負けたかなど、それぞれの動機の違いはあっても。
 
 実務能力とその実績は誰がみても覆せないので、(しぶしぶであっても)高い評価が常時。

 一方で上記の適性に関しては減点方式の対象となりやすい。

 結果として高い評価がその分減点。それでも高いからよいじゃないか、となるのがスタンダード。

 つまり能力は重視するが、求めるのは目先「こなす」実務処理だけであって、他方で直観的な「将来予測」や、その「予測を踏まえた事前の対策立案」などは役に立たないとマイナス判定。

 見てみない振りをしろ、むしろ気づいても黙ってスルー推奨。

 邪魔むしろ脅威にすらなりうる、と組織的に判断されがち。

 と、これまでの数多の実体験から浮かび上がる。

 たとえ、それまで「多数の実績に裏付けされていても」である。

 例外は直属上司のもっと上、2つ3つ上の立場から引き立てられるパターンかな。

 というかほとんど毎回、そのパターンだった気もする。

 それで生き延びてきたというか。

 直属上司に恨まれたりすることも、ままあるのだが。

 逆に言えば、そのような変則的生存戦略抜きで活かせる組織環境や上司は希少価値!もっと評価されるべきと感じる。
 

13.パブリックセクター生息のレアキャラ扱いと自己紹介


 いまやパブリックセクターでさえ、というかむしろ公こそ、先の見えない状況での判断が求められるのが当然の時代となり、この先さらに拍車がかかると「予測」される情勢なのだが。

 ひとえに周囲そして人事方針、なんといっても上司と組織風土に大きく左右される。

 中央はさすがに気付いているだろうが、マンパワーが擦り切れて丁度よく織り込む余力がないのか。私見だが。

 いかんせん地方は立ち遅れている。もしアクティブな場合も中央の言われるがままの「やっている感」が多い。偏見かもだが。

 いやまあ、それぞれの事情だし、必ずしも当てはまらず、むしろ着実に進んでいるところもあるだろう。決めつけはよくない。

 ことほど左様にパブリックセクターの先々はかなり悩ましいのかもしれない、人材面で、と予見される。直観だが。

 打開の必要性の意識は共有されつつあっても、諦観が広まる速度のほうがはやいのを感じる。

 考えて見渡すだけの余裕のなさのような。

 もちろん、あくまで個人的な所見に過ぎないけども。

 自分自身が年をとって、これまで記述したような日々に摩耗したのもあるのだろう。

 もちろんメジャーではない。

 あくまで一定数のマイノリティとして、そういった素養を持つ人材を、機能的に有効活用できることが、個人にとって組織社会にとっても意義が高まってきた。

 それを多様性と呼ぶならそうかも。

 属人的個人の才知から組織的なナレッジ形成をもっと明示的に求め工夫したほうがよいとずっと感じてきて、主張し、試行錯誤してきた。

 そういう意味で、パブリックセクターの主に管理部門に従事し、仕事できると評価されつつも、長年マイノリティ、というか唯一無二の変わり者レアキャラ扱いで過ごしてきた自分、という自己紹介です。

 過去編と言いつつ、ほぼこれまでの仕事観に終始した。

 まあ、せっかく「note」のような場なので、これまでの内側の視点からでなく、外目線からの「なにか」が模索できればよいのかも、と。

 マイペースながら、モヤモヤを掴んで何かを造形していこうとしているかも、などと今日この頃は自己分析しております。


 長くなりましたが、ここらで自己紹介を締めたいと思います。

 こんな感じですが、よろしくお願いします。

(了)


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フカン デ・”みると”
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