仕事に本格復帰 その4

1か月前に行った精神科を受診した。この頃、何故か痔が出始める。この受診のときに固い椅子に座って待っていたのがいけなかったのかよく分からないが、ここから1か月もの間この副産物と生活することになる。(精神科の先生曰く休むとあちこちにエラーが出るとのこと)
また、引っ越して来たばかりの新しい町の図書館に利用登録をした。そこで図書館に通うという「リハビリ」を少しずつし始めた頃であった。それでも出られない日は出られず、出掛けても疲れて半日寝ているような日々はしばらく続いた。5月下旬、さらに2か月程度の休みをもらうことになった。
散歩にも行き始めた。俺の住んでいるアパートの周囲は圃場整備した田園風景が広がる。まさに「安曇野の風景」というところである。

北アルプスを望む、こんなところを散歩していた

散歩は1回に2~3キロくらいを歩いた。田んぼの真ん中の道を歩いていると、知らないおばちゃんがこっちに向かって歩いてくる。そのおばちゃんとすれ違うのが億劫で家の方向とは逆に曲がり、グルグル回って帰るなんて日もあった。6月になり少しずつ散歩の範囲も広がった。6月中旬には、少し足を伸ばして行ってみたかったペンションに泊まりに行った。下旬には家の近所の地区で蛍の生息域を保全しているところがあって、毎年ホタル祭りなるイベントがある。そこに行ってみたりしていた。だが、こんなことがあった。このホタル祭りに妻と行ってみた。人混みが割とあるところを歩いていると、急に苦しくなってきた。足も重くなってきた。何か体調が悪い。「先に帰るわ」妻に告げ、家に向かって1キロ余りある田んぼの中の一本道を歩くが、足取りが重い。胸が苦しい。ヤバい。何かがおかしい。そのうちに妻がホタルを見終えて追いついてきた。「大丈夫?先に行ったけど心配だった」。そう言われても足が重いのは変わらなかった。振り返ると不特定多数の人がいるところで心理的にマイナスな方向に向いたのだろう。そのあとは再発することはなかった。
7月になり、相変わらず気分の上下は続いていた。3か月休み、ついに本格的な休職となった。今まではいわゆる「療休(療養休暇)」。これからは「休職」という公務員の世界では分限処分という扱いになる。所属していた部署から外れ、人事付きになった。冗員整理みたいなポジションだ。
実は、4月に診断書を提出した際、妻に「俺は25年頑張ってきた。身体が良くなっていたとしても1年は休むことにする」と告げていた。引き留められたとはいえ、辞めたいという気持ちも未だに持ち合わせていたので考える期間を設けたかった。それ故に1年休むという決断をした。休職に入ると給料が8割になる。なんと扶養手当も家賃補助である住宅手当も8割になった。賞与は勤勉していないから勤勉手当はなく、期末手当8割だけになった。経済的には苦しくなったが、貰えるだけありがたかった。結局、定期預金を100万は下ろした。
7月はあの事件が起こった。それは、次回で。

つづく

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