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町田康『くるぶし』を読む

 町田康『くるぶし』を読んだ。何と感想の書きにくいこと。感想を書くことが許されないとすら感じる。
 これを読み、「全てわかった」と言える程面の皮は厚くない。これを「わかる」と言ったら嘘になる気がする。私の感受性がそこまで育っていないからかもしれないが。
 一言で述べるなら「日本語の暴力」だ。縦横無尽にあらゆる角度から「日本語」がやってくる。それを処理し切れる脳が、残念ながら私にはなかった。
 決して面白くない訳ではない。ただ誠実に向き合おうとすると、「わからない」が正しい感想なのではないかと思う。感想に正しいも何もないが。

 町田康は何を考えてこういった歌を詠んだのだろう。下らぬものを小馬鹿にすることはあれど、基本的に諦念は感じられない。かといって強い希望も感じられない。ただ淡々と日常を送り、それを歌にしている。これが短歌の本質なのだろうか。
 抽象と具体――固有名詞が入り乱れる。日常を忠実に描けばこうなるのかもしれない。

 露悪的な部分もあるが、「自分をよく見せよう」「賢く見せよう」という下心はあまり感じられなかった。とにかく、読者に寄り添ってくれない。ただ「自分」「町田康自身」があるだけだ。好き嫌いはかなり分かれると思う。

 隣人は何を考えて生きているのかわからない。最終的にはそんな恐怖すら感じた。はっきり言って手厳しい。ユーザーフレンドリーの正反対に位置している。それでも面白いと感じるのは、やはり才能なのか。

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