11月13日(月):書籍「ことば、身体、学び」から、知識の錯誤に要注意
最近は書籍「ことば、身体、学び」に関することを綴っています。
本書は五輪メダリストの為末大さんと認知・言語発達心理学を専門とする今井むつみさんとの共著で、副題の「『できるようになる』とはどういうことか」を中心に据えた対話形式です。
これまでは1日ごとに「できるようになるとはどういうことか」、「ことばと身体」、「『わかった』問題」に触れてきましたが、本日もその続きをもう少しばかり。
昨日は書籍内に出てくる「達人になれる人とというのは、自分が、何をわかっていて、何を分かっていないのかを明確に判断できるというところが非常に大きい」との言葉を引用しながら、「わかる」と「わからない」、「できる」と「できない」の整理や線引きをしっかりできるようにすることが、自分が次の一歩へ進むためのスタートラインだと記しました。
この「『わかった』問題」に付随して本書では「知っているつもり」の危うさ、知識の錯誤についても言及をしています。
そこで触れていたのは「私たちはほとんどのことを外部の知識に頼り切っていて、自分の外側にある知識を自分の知識と同一視している」点への問題提起がありました。
例えば私たちは当たり前のようにスマホを持ち、自分の意図する方向性のなかで使いこなしています。
だからスマホのことを知っているかと聞かれれば、それを「知っている」と答える人のほうが多いでしょう。
でも、そこからもう一段階掘り下げて、スマホの内部構造を把握していたり、どういった原理でそれが作動しているのか、といったことまで理解をしている人は稀です。
もちろん、私もその詳細などは知りもせずに使っています。
自分にとっては未知のブラックボックスな部分がありながらも、それを気に留めることもなく「わかった」ものとして扱っている現実があり、そうした知識の錯誤をしている点がいたるところにあるとの指摘です。
もっとも、人にはそういうバイアスがあるし、それをもたないと生きていけない面も説明がされています。
現在は世の中が複雑すぎて知らなくてはいけないことが多過ぎる一方で、それを全部詳細に理解しようとすれば時間がいくらあっても足りず、いちいち知らないことを気にして全部を理解しようとすれば生活が破綻してしまいます。
だから自分が事細かく知っておくべきことはしっかりと掘り下げて理解をし、そうでない領域は意図して外部に依存するなどのメリハリが大事になる旨も伝えています。
仕事の場面に置き換えていえば、少なくとも自分の担当していることや自分が身を置く専門領域、勝負をしようと思っている世界のことは理解を深めていくことが望ましいのは言うまでもありません。
そうした領域では「知ったつもり」にならず、虚心坦懐に学んでいくことが大事なんだと自戒をしました。