論文が出版されました4
今回出版された論文は、以前にnoteで紹介したマナガツオという魚のエラに寄生している単生類の再記載論文です。マナガツオは、瀬戸内海に面する地域ではよく食べられますが、関東ではほとんど食べられない魚です。「西にサケなし、東にマナガツオなし」とも言われています。流通する量が少ないことから、たいへん高級な魚になっています。現在手元に寄生虫の標本が大量にあるのですが、マナガツオの単生類を優先して論文にした理由は、値段が理由の1つです。高かった。
再記載の原則
私の記事では「記載」や「再記載」という言葉がでてきます。簡単にこんな感じで区別してください。これまで発見されていない生物種を発見したので、体の特徴と共に新種であることを報告することを「記載」。すでに、発見されている生物種であるが発表された時の論文の内容に不備があったので、指摘と修正をして、特徴を新たに加えた論文が「再記載」です。この再記載を行う時には、その種が初めて発見された時に論文と共に博物館に収蔵された標本(Holotype)を観察しておく必要があります。Holotypeを観察しなければいけない理由は、こんな感じです。たとえば、自分が発見した寄生虫の吸盤に棘がはえていて、その種が発見された時に書かれた論文には吸盤の棘のことが書かれていなかったとします。「これは新発見?もしかしたら新種かも?」と思いたいところですが、もしかしたら初めて発見した人が見落としてしまっている可能性もあります。新種と判断するためには、その可能性をちゃんと確かめておかなければなりません。また、Holotypeに棘があれば、見落としなので、再記載をする必要があります。ただ、今回研究対象にした単生類のHolotypeがないことは、以前確認済みです(下のリンクの記事よんでみてください)。
改名されすぎ
今回の研究対象の単生類は、Bicotyle reticulata という学名です(和名なし)が、学名の変遷がはげしい種でした。先述しましたが、数ある寄生虫の中からこの単生類の論文を優先して書いたのですが、選んだ理由の2つ目が、体が大きくてスケッチとかが楽そうだと思ったからです。他の単生類の体の大きさが1mm前後なのに対して、B. reticulataは私が検査した標本は約2cmほどありました。これだけ大きかったら、体の特徴がすぐにわかって、簡単に論文にできるだろうと目論んでいました。ただ、学名がが何度も変わっていたため、論文を書くにあたって、いつ、どのような理由で名前がかわったのかを1つずつ論文に書かないといけません。まあ、これがちゃんとできていなかったので、共著者から何度も調べ直しを求められました。ちなみに、変遷は以下のような具合です。
この単生類はもともと1894年に日本の五島淸太郎博士が愛媛県松山市の漁港で採集したマナガツオから発見されました。この時の学名は、Microcotyle reticulata となっていました。このMicrocotyle(属の名前です)には和名がついていて、「コガタツカミムシ」と言います。体の後端に小さな把握器がたくさんついていることがその由来です。B. reticulata は確かに体の後端に小さな把握器がたくさんあるのですが、左右で形が異なっています。そのため、1956年にBicotyle属に移されてBicotyle reticulata となりました。ただ、そのあと文法的な理由でDicotyle reticulataになったけど、国際動物命名規約により変更が無効になり、1971年にDictydenteron reticulataではないかと提案されて、1990年に否定されています。これだけ学名がかわっているのですが、先述したようにHolotypeがないため、実は誰もBicotyle reticulata の標本を見ていません。
見つけたことに価値がある
上記のように、分類学的にすごい混乱していたわけですが、これを解決するために論文を書き始めたわけではありません。もったいない精神と安易な理由からです。ただ、結果的には分類学的に抜けていたパーツを埋める仕事になっていたようです。研究者は書いた論文をどこかの雑誌に投稿します。雑誌の編集者は、この論文を専門家に依頼して内容が適切かどうかチェックしてもらいます。これを査読と言うのですが、実はこの論文の査読者から、「あなたの標本は貴重だから海外の博物館に寄贈して」とお願いされていました。同じことは、以前論文を投稿した時にも言われていたのですが、その時はすでに日本の博物館に収蔵してしまっていたので、今回はヨーロッパの博物館に収蔵することにチャレンジしてみました。まあ、標本の郵送の手続きを調べたり、先方のキュレーターの方とのやりとりで正月休みはおわりました。面倒くさかったのですが、それだけ海外の方からも期待されているということでしょう。
石の上にも4年
2020年に研究助成金を得たことから、日本各地(主に西日本)の各地で魚を採集するようになりました。この年は、新型コロナウイルスによる制限がもっとも多く、時間をもてあました知り合いの大学生が私の調査を手伝ってくれました。雨の中釣りをしたり、車中泊をしたり、自宅を解剖場所として提供してくれたり、などなど。昨年の春あたりからやっと彼(女)らが採集を手伝ってくれた寄生虫の論文を書くことができるようになりました。この論文はその第一号になります。仕事そっちのけで論文を書いていたのも、彼(女)らへの感謝を示すためというのがあります。これが、数ある寄生虫の中からこの単生類の論文を優先して書いた理由の3つ目です。個人的には、生物系の学部にいる学生に論文にしてもらえたらとも思っているのですが、希望しないのでしたら仕方ないですよね。
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