「わからない」が大切にされる教室
【”わからない”は、悪いこと?】
どの授業でも子どもが「わかること」がめざされる。“わかる”ことによって内容の理解を深め、満足感・充実感をもって1時間を終えることを、どの子も、また教師も望んでいる。
一方でこれは、「わからないこと=悪いこと」というとらえ方を生み出す危険性をはらんでいる。教室にはさっとわかってしまう子どももいれば、何度聞いても考えてもさっぱりわからないという子どももいる。教室の大半の子どもがわかる状態になった段階で、わからないという子どもは置いてきぼりにされた気分になり、”さっぱりわからないから勉強が嫌い” ”自分はできない子ども” ”他の子に比べて劣っている”という思いを深めていく。こういう教室では、”わかることがよいこと”で”わからないことは「悪いこと」なのだ。
【”わからない”から始まる授業】
しかし、”わからないことは悪いこと”というのは、本当だろうか。
このことを根本的に覆している授業がある。これまでのnoteの記事で紹介してきたTV番組(「輝け28の瞳」 NHK ETV特集 2012年放映)の古屋学級では、「わからない」という言葉が授業のキーワードになっている。
一般的に子どもが”わからない”といった場合、教師は次のように対応することが多いのではないだろうか。
「〇〇さんが、わからないって言っているから、だれか〇〇さんに(わかるように)教えてあげて。」
「■■君がわからないんだって。他に説明できる人いる?」
これらの対応の根底には、いずれも「わからないことがよくないこと」という考え方があるように思う。
“わからない”から“わからせよう”という方向性の対応だ。
古屋学級の授業では、子どもたちが口々に「わからない」「意味が分からない」といっている様子が見られる。そしてどんな「わからない」もなおざりにはされてはいない。
誰かが「わからない」と言ったら、グループの仲間や教室の仲間がその子の「わからない」に寄り添い、互いに学び合うことをとおして、コミュニケーションの力や考える力を養おうとしている。この状況に対して、先生は「わからない」から始まる子ども同士の聴き合いを、腕を組みながらじっと見守っているのである。
この教室では、「わからない」ことが”悪いこと”ではなく、むしろ子どもたちには”わからないことがよいこと”ととらえられている。
【”わからない”は聴き合う授業のキーワード】
誰かの「わからない」をみんなで考えることのよさは、”わからない”という子どもが”わかる”ようにになるということばかりではない。”わかった”と思っていた子どもも、誰かの”わからない”を考えることによって、友だちの視点から”学び直す”ことになり、内容の理解がいっそう深まるのだ。
”わからない”が授業の中心に据えられ、誰かの”わからない”をスタートにし、一人一人がその子なりに納得することをめざす授業。これが「聴き合い」の授業だといえる。