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「一人も取り残さない」授業

「一人たりとも取り残さない」「どんな子どもも置き去りにしない」・・・私が教職を去るまでのこの数年間、国や自治体が教員に対して声高に浴びせ続けてきた言葉だ。
 この理念はとても崇高だ。ただこの理念を、これまで行われてきたような一斉指導で実現することはなかなか難しかった。学校は、学習指導要領に示された事項を子どもが効率よく身に付けることができるようにカリキュラム(教育計画)を整え、指導方法を工夫し、「教える」ことを中心にして授業を考えてきたからだ。

 教えること、つまり教える側(教師)の立場に立った「わかること」「わからせること」を中心に据えた一斉指導では、どうしても子どもが「わかる」ことがよいこととされ、「わからない」子どもは授業から取り残されたり、置いてきぼりにされたりする状況が生まれる。

 ここで「一人も取り残さない」理念を実現するためには、学びから取り残されたり、置き去りにされたりした子どもを救わなければならないのだが、一斉指導においてはその方法は限られている。
 一時間の指導で身に付けることができなかった内容は、その後の時間で繰り返し指導するか、放課後学習や家庭学習(宿題を含む)などのいわゆる”個別指導“で”補充する“という方法しかないのだ。
 一斉指導で「わからなかった」子どもは、「わかるまで」大人に指導され、たくさんの宿題を課されることを通して、「自分はできない子なんだ」という思いを募らせ、次第に学びから距離を置くこと=勉強が嫌いという状況になる。

 前回紹介したNHKのTV番組「輝け28の瞳」に登場する子どもたちを見ていると、「わからない」という子どもが決して置いてきぼりにされてはいない。むしろ、「わからない」子どもが教室の学びの中心にいるようにも見える。まさに、「一人たりとも取り残さない」授業が実現している。どの子も授業に参加できている。しかも生き生きと。

 授業改善が叫ばれ、どの学校でも取り組んではいるが、「一人たりとも取り残さない」「どの子も置き去りにしない」という理念を実現するには、一斉指導を転換すること、教師中心の指導観を転換することなしには難しい。


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