
聴き合う教室づくりのために①
聴き合いが生まれるには
以前のnoteの記事(「聴き合うことを大切に思う」)で、私は次のように書いた。
『聴き合い』は”話し合い”ではない。自分の言いたいことを”語り合う”でもない。相手が何を言いたいのか、なかなか伝わらない言葉の裏で相手が何を言おうとしているのか、そもそも相手が困っていることは何かを相手に寄り添って全身全霊で聴こうとすることから始まるのが『聴き合い』である。
こうした聴き合いが教室に生まれるようにするにはどうしたらよいのか。もちろん「こうすればこうなる」という方法論的なものは何もない。(というか、”方法”や”技術“ではないと考えている。)
ただ、教師としてこういうことに心がけて日常の授業づくりを考え試行し続けていくことが大事ではないかというものはあるように思う。
聴き合いの授業の大切さに気付き、心を寄せるようになってから、私がいつも手本としてきた先達がいる。石井順治先生である。石井先生は「東海国語教育を学ぶ会」の顧問をされているが、私は、学ぶ会の中で先生が発信されてきたことに強く影響を受け、学ばせていただいてきた。
学ぶ会の中で石井先生がお話されたことや書かれていることの中から、「聴き合う教室づくり(授業づくり)」のために大切なことについて、学ばせていただいたことなどを中心に紹介し書いていきたいと思う。
子どもが「聴きたい」「聴かなければいけない」という気持ちになっていること
私たちは日常子どもに「聴く」ことの大切さを指導している。相手の言わんとすること(内容)を理解することだけを取ってみても、学ぶという場面で「聴く」ことの大切さに異論を唱える人はいないだろう。
しかしながら、「聞く」の指導の多くは、「体を話し手の方に向けて聞く」「話し手の話を最後まで聞く」などの“聞き方”指導に重心がある場合が多い傾向があるのではないだろうか。
姿勢よく、黙って静かに聞くという“姿勢”の大事さを否定するということではない。がしかし、静かに聞いている子どもが本当に「聴きたい」あるいは「聴かなければならない」と感じて、主体的に“聴こう”という気持ちをもって聴いているかどうかは別である。
石井氏は、
「子どもが本当に『聴きたい』『聴かなければならない』という思いをもって聴いているかどうかは、教室の”先生の聴き方次第”である」
と述べている。
私たち“教師がどのような話の聴き方をしているか”が基盤となって子どもの聴き方が形づくられているということであり、それは「技巧」ではないということである。
それは、学んでいる教室の子どもたちに、先生としてどれだけ思いを持っているかが子どもに伝わるということでもある。
例えば、子どもに「それは後で聴くわ」といっておいて聴かないとか、それでいて『聴け』と言って子どもは聴かない。日常の教師の聴き方が教室の子どもたちの聴き方のベースになるということを石井氏は述べている。
日常の授業場面で、私たち教師がどのような聴き方で子どもたちの話を聴いているのか、その聴き方についての姿勢が、教室の子どもたちの聴き方を形成していくということを十分意識しなければならないということだろうと思う。