違うよと言ってくれる人
2024年5月24日(金)朝の6:00になりました。
今日の真理が、明日否定されるかもしれない。
どうも、高倉大希です。
叱ってもらえるうちが華だよ。
ときどき、こんな言葉を耳にします。
耳にするたびに、なんじゃそれと思っていました。
叱るという行為を、正当化しすぎているような気がするからです。
「わたしのために叱ってくれてありがとう」
こんなふうに言わされている子どもたちを見て、違和感しかありませんでした。
叱ってもらえるうちが華だよ。
大人になって、この言葉の意味が半分だけわかるようになりました。
きっと、違うよと言ってくれる人のありがたさを意味しているのだと思います。
いわゆるイエスマンに囲まれても、つまらないという話です。
ものごとは、否定があってこそ前進します。
他者から違うよと言われることで、考える必然性が生じるのです。
たしかに、肯定だけのコミュニケーションは退屈です。
どうしても、だからどうした?と思ってしまいます。
違うからこそ、おもしろいのです。
違うからこそ、考えるのです。
もちろん肯定も、なくてはならないアクションのひとつです。
一方で、違うよと言ってくれる人の存在がありがたいことも事実です。
違うよと言われたときに、必ずしもそれを受け入れる必要はありません。
違うよと言われることは、あくまでも考え直すきっかけです。
考えて、受け入れるもよし。
考えて、さらに否定を重ねるもよし。
叱ってもらえるうちが華なのかは、まだはっきりとはわかりません。
しかし、違うよと言ってくれる人の存在は間違いなく華なのだろうと思います。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。