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今の自分がずっと続くわけじゃない


2024年7月13日(土)朝の6:00になりました。

変化とは、自己の中に非自己を取り込むことである。

どうも、高倉大希です。




小学生のころと中学生のころとでは、考え方が違います。

中学生のころと高校生のころとでも、考え方は違うはずです。


高校生のころと大学生のころとでは、考え方が違います。

大学生のころと社会人になってからでも、考え方は違うはずです。


わたしたちは、変化を重ねて大人になります。

小学生のころと同じ考え方をしている社会人は、ひとりたりともいないはずです。


30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


それにも関わらず、未来のことを考えるときは変化を加味せずに考えます。

今の自分がずっと続いていくという前提で、想像を膨らませるのです。


今の自分に興味がないことは、未来の自分も興味がないだろうと決めつけます。

今の自分にできないことは、未来の自分もできないだろうと決めつけます。


今の自分が続くと考えた方が、想像しやすくて安心することができるからです。

これまでは、散々変化を重ねてきたはずなのに。


コミットメント関係から離れないのは、少し極端な言い方をすれば、すでに桎梏になってしまっている関係から、そこで提供されいる安心の「呪縛」のために人々が抜け出せないでいる状態だと言えます。このような状態で安心の呪縛から人々を解き放ち、外部に存在する機会の利用を可能としてくれるのが、特定のコミットメント関係にない人間に対する信頼、つまり一般的信頼の役割です。

山岸俊男(1999)「安心社会から信頼社会へ」中央公論新社


こうして、自ら可能性を閉ざします。

だんだんと、変化しないことを望むようになるわけです。


変化しない方が、しんどいのになと思います。

小学生と同じ考え方の社会人を想像すれば、火を見るよりも明らかです。


子ども心を忘れないとか、そういう話ではありません。

変わりゆくことは、前提であるというお話です。


自分が生きているかどうかを確かめるいちばんの方法は、「自分は変化が好きか?」と自問することだ。食べ物は空腹でなければ味がない。成功は努力がなければ、喜びは悲しみがなければ、確信は疑念がなければ意味がない。そして、倫理的な生活は、個人的なリスクを伴わなければ価値がない。

ナシーム・ニコラス・タレブ(2017)「反脆弱性 下」ダイヤモンド社


大抵のことはどうせできないし、どうせできるようになる。

今考えていることなんて、どうせ未来には変わっています。


だからこそ、考えないのではありません。

だからこそ、考えます。


こう考えていたのに、実際はこうだった。

この差分にこそ、学びが隠れているからです。






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