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所詮は自分に理解できる程度のこと
2024年5月10日(金)朝の6:00になりました。
何が理由かはわからない、でもそれはとにかく起こりうることなのだ。
どうも、高倉大希です。
わかりやすくまとめられた資料、わかりやすく説明してくれる先生。
わかりやすく整えられた道、わかりやすく導いてくれる案内板。
わたしたちは、わかりやすさを求めます。
なぜなら、自分の頭で考えなくても済むからです。
わかりにくいものに出会ったら、自分が困ってしまいます。
そんなときは、わかりにくいのが悪いと言ってどうにかその場を切り抜けます。
単純にミクロを組み合わせればマクロが理解できるのかというと、そうはならないことが多いんです。ミクロからマクロに至るまでの過程で難しい現象があると理解されたのは、戦後になってからのことです。
最近の本は、文字のサイズが随分と大きくなりました。
なぜなら、文字が大きい方がわかりやすいとされているからです。
最近の本は、太字による強調が随分と増えました。
なぜなら、要点がはっきりしている方がわかりやすいとされているからです。
これにより読者は、目を細めながら文字を追う必要がなくなりました。
これにより読者は、要点を探しながら文字を追う必要がなくなりました。
抽象化とは一言で表現すれば、「枝葉を切り捨てて幹を見ること」といえます。文字どおり、「特徴を抽出する」ということです。要は、さまざまな特徴や属性を持つ現実の事象のなかから、他のものと共通の特徴を抜き出して、ひとまとめにして扱うということです。
所詮は、自分に理解できる程度のことだ。
わかりやすいものに出会ったら、そう考えるようにしています。
まだ見ぬ世界は、わからないものの中にあります。
今の自分にはわからないということは、それすなわち新しいということです。
もちろん、本当の意味で何かを理解することなどないのかもしれません。
だからこそ、わからなさが尽きることもありません。
無知は歓迎すべきものではないが、必ずしも悲嘆すべきものでもない。人間にとって、無知は避けられない。それは自然な状態だ。世界はあまりに複雑で、およそ個人の理解を超える。無知は腹立たしいものかもしれないが、問題は無知そのものではない。無知を認識しないがゆえに、厄介な状況に陥ることだ。
乱暴な言い方にはなりますが、わかることはもうよいのです。
わかるということは、考える余地が残っていないということです。
逆に言えば、わかりやすさの利点はここにあります。
わかったものを手放して、その先にあるわからないものに進めます。
所詮は、自分に理解できる程度のことだ。
わかるからおもしろいのではなく、わからないからおもしろいのです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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