
ツッコミがいない世界
2025年2月14日(金)朝の6:00になりました。
遠慮なく、チョコレートをください。
どうも、高倉大希です。
村上春樹の作品は、要約すると何もなくなる。
彼の作品を読むたびに、いつもそう思います。
べつに何も起こっていないのに、数ページが費やされます。
しかもそんな文章を、ものの見事にすらすらと読まされてしまうのです。
なぜあんなにも、すらすらと読まされるのか。
いまだによく、わかりません。
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。
登場人物たちの会話は、極めて独特です。
そんな会話をしている奴など現実にはいないだろう、と毎回のように思います。
Aが独特な発言をして、Bが独特な回答をする。
こうして会話劇が、前(なのかもよくわからない方向)に進んでいくわけです。
そんな会話を耳にして、「変だろ」とツッコむ人物は誰ひとりと出てきません。
登場人物たちにとっては、そんな独特な会話がいつもどおりのやりとりなのです。
「どれくらい私のこと好き?」と緑が訊いた。「世界中のジャングルの虎がみんな溶けてバターになってしまうくらい好きだ」と僕は言った。
そう考えると、小林賢太郎が書くラーメンズのコントも同じです。
坂元裕二が書く、ドラマの脚本も同じです。
独特な会話に対して、ツッコむ人が出てきません。
そこで行われる会話の異様さが、その世界では受け入れられているわけです。
だからこそ、惹かれるのだろうなと思います。
あの世界に入ってしまえば、自分も受け入れてもらえるような気がするのです。
「特別なもの」を生み出そうとするとき、それがどんなふうに特別なのかを「普通」という視点から見極める必要があります。「特別」と「普通」、定規を何度も持ち変えるのです。そのために自分の中の普通さを死守するのです。
ふたりで話すことが、好きです。
ふたりなら、多数派が生まれないからです。
仮に相手が変ならば、自動的に自分も変だということになります。
仮に相手が異様ならば、自動的に自分も異様だということになります。
本来は、そうだよなと思います。
変で異様が、普通です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
いいなと思ったら応援しよう!
