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偏った人に囲まれて


2024年11月5日(火)朝の6:00になりました。

休日は好きですが、平日も嫌いではありません。

どうも、高倉大希です。




学校の先生は、子どもたちの模範でなければならない。

このような言葉を耳にするたびに、妙だなと思っていました。


もちろん、言わんとしていることはわかります。

わかりはするのですが、どこまでいっても先生は大人の一例でしかありません。


ましてや、そこにいるのは「学校の先生になろう」と思った人たちです。

模範にするには、あまりにも偏っています。


昔は「みんな」がひとつの大きな船に乗っていた。そう考えればわかりやすい。船がいい方向(豊かな社会)に向かうことで「みんな」が幸せになれた。だから「いい学校・いい会社・いい人生」は、「ぼく」も「君」も幸せになるために有効なメッセージだった。

宮台真司(2013)「14歳からの社会学」筑摩書房


大学に行けば、多様な考えをもった人に出会える。

このような言葉を耳にするたびに、妙だなと思っていました。


もちろん、言わんとしていることはわかります。

わかりはするのですが、どこまでいっても同窓生は学生の一例でしかありません。


ましてや、そこにいるのは「その大学に入学しよう」と思った人たちです。

多様と呼ぶには、あまりにも偏っています。


「私の友達はみんな喫煙者だ」とか「君はいつも眠たそうだね」と一般化するのに必要な目撃回数は3回だといいます。現代においては、そのようなたった三つのサンプルを元にした、「みんな」「いつも」とすべてがそうであるという認知は確かに偏見であり、思い込みにすぎません。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


SNSで生まれた声が、世論として扱われる。

このような状況を目にするたびに、妙だなと思っていました。


もちろん、言わんとしていることはわかります。

わかりはするのですが、どこまでいっても投稿は民意の一例でしかありません。


ましてや、そこにいるのは「そのSNSで発信しよう」と思った人たちです。

世論と呼ぶには、あまりにも偏っています。


僕が言いたいのは、歴史も人間も複雑で、多面的だということです。そして、今この本を読んでくれているあなたの人生も、歴史の一部です。ということは、あなたの人生もまた単純には語れない多面的なものだということです。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


自分のまわりにいる人なんて、だいたい偏っています。

自分から見えている世界なんて、だいたい偏っています。


むしろ、偏っていない方がおかしなくらいです。

偏っていることが、デフォルトです。


その偏りを認識するには、より大きなものを見続けるしかありません。

ただし、より大きなものを見続けたからといって偏りがなくなるわけではありません。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。