偏った人に囲まれて
2024年11月5日(火)朝の6:00になりました。
休日は好きですが、平日も嫌いではありません。
どうも、高倉大希です。
学校の先生は、子どもたちの模範でなければならない。
このような言葉を耳にするたびに、妙だなと思っていました。
もちろん、言わんとしていることはわかります。
わかりはするのですが、どこまでいっても先生は大人の一例でしかありません。
ましてや、そこにいるのは「学校の先生になろう」と思った人たちです。
模範にするには、あまりにも偏っています。
大学に行けば、多様な考えをもった人に出会える。
このような言葉を耳にするたびに、妙だなと思っていました。
もちろん、言わんとしていることはわかります。
わかりはするのですが、どこまでいっても同窓生は学生の一例でしかありません。
ましてや、そこにいるのは「その大学に入学しよう」と思った人たちです。
多様と呼ぶには、あまりにも偏っています。
SNSで生まれた声が、世論として扱われる。
このような状況を目にするたびに、妙だなと思っていました。
もちろん、言わんとしていることはわかります。
わかりはするのですが、どこまでいっても投稿は民意の一例でしかありません。
ましてや、そこにいるのは「そのSNSで発信しよう」と思った人たちです。
世論と呼ぶには、あまりにも偏っています。
自分のまわりにいる人なんて、だいたい偏っています。
自分から見えている世界なんて、だいたい偏っています。
むしろ、偏っていない方がおかしなくらいです。
偏っていることが、デフォルトです。
その偏りを認識するには、より大きなものを見続けるしかありません。
ただし、より大きなものを見続けたからといって偏りがなくなるわけではありません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。