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植えた木を伐採するのは次の世代
2023年8月31日(木)朝の6:00になりました。
毎朝投稿をはじめて、ちょうど8ヶ月が経過しました。
どうも、高倉大希です。
ひさしぶりに昔の Mac を立ち上げてみたのですが、画質の粗さに驚きました。
当時はなにも気にならなかったはずなのに。
いやむしろ、なんて綺麗なディスプレイなのだろうと思っていたはずなのに。
きっと、いま見ているこの画面の粗さに気がつく日も、近いうちにやってくるのだろうなと思います。
液晶モニターも、面全体がより細かく表現されてクッキリ鮮やか美しい状態だから「解像度が高い」と言えるのであって、ある一部の面だけ解像度が高いなら、それは故障です。
最近、林業関係者と話す機会があったのですが、植えた木を伐採するのは次の世代ということがが前提となり、ものごとが進んでいくそうです。
自分が目先の利益を得られるかは、またべつの話です。
先人から引き継いだものを、後世へと残していくというわけです。
どれだけ画面が大きくても、解像度が低すぎると、何が映っているのかがわかりません。
一方でどれだけ解像度が高くても、画面が小さすぎると、それはそれでわかりません。
視野の広さと、解像度の高さは、つねにセットでなければならないのです。
人類の長い歴史の中で培われてきた文化が、理科系と文科系に分断されている、というわけです。それでは、せっかく得られた人類の叡智はばらばらのままです。
どこにこだわればよいのかは、全体が見えているからこそ判断することができます。
全体が見えていないまま、部分にこだわることは、ただの博打です。
全体に紐づかない部分のこだわりは、時として足枷になります。
なにかに集中したいのなら、なにに集中しないのかを決めなければなりません。
なにかを書きたいのなら、なにを書かないのかを判断しなければなりません。
「ほかにも価値のある何かを選べたかもしれない」という事実こそが、目の前に意味を与えるのだ。これは人生のあらゆる場面に当てはまる。
目の前のものごとを変えたいと願うのなら、目の前だけを見ていてもどうしようもありません。
目の前のものごとを変えるということは、すなわち、目の前のものごと以外をどう調整するかということです。
きっとこの記事は、あまり伸びません。
なぜなら、目の前のものごとだけを見ているからです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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