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カラオケの空気感がたまらなく嫌い


2024年7月14日(日)朝の6:00になりました。

他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ。

どうも、高倉大希です。




歌いたい人が、歌う。

それで、よいじゃないか。


どうして、順番に歌わなければならないんだ。

どうして、手拍子をして盛り上げなければならないんだ。


みんなで、ひとつになって楽しもう。

そんなカラオケの空気感が、たまらなく嫌いです。


「みんなが容易に『同じ気持ち』を共有できるはずだ」という安易な考え方が、多くの日本人の心の中にあるようです。実は、ここで言う「同じ気持ち」とは、「自分と同じ気持ち」という意味であり、多様性や異文化を否定した自己中心的な考え方なのですが、日本人自身が「個性化・多様化の推進」などと言っているのに、未だにこうした「同質性の信仰」が根強く残っているようです。

岡本薫(2001)『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』明治図書


べつに、歌うことが嫌いなわけではありません。

誰かの歌を聴くことが、嫌いなわけでもありません。


「みんなでひとつに」から、はみ出すやつは許さない。

そんな同調圧力が、たまらなく嫌いなのです。


そんなことを思っていると、この感情を見事に言い表した文章を発見しました。

株式会社MIMIGURIの代表取締役である、安斎勇樹さんの note です。


強制的に展開される「歌合戦」の空間は、曲の選定や順番、聴き手としてのリアクションなどに暗黙のコードが走ります。その見えない空気のような慣習が抑圧的で、本来は創造的かつ主体的な表現行為である「歌うこと」が、儀礼的な「空気の読み合い」になりさがる。

安斎勇樹(2024)『キャリア目標を捨て、「探究テーマ」を持とう』note


表現行為である「歌うこと」が、儀礼的な「空気の読み合い」になりさがる。

どんぴしゃすぎて、思わず笑ってしまいました。


思い返せば、学校が嫌いだった理由も同じです。

「みんなでひとつに」という空気のもとで、生活が進みます。


べつに、輪を乱すつもりなんてこれっぽっちもありません。

迷惑はかけないから、放っておいてくれという話です。


銭湯というのは大勢人がいるけれども、誰とも口を利かなくても別におかしいことはない場所です。見ず知らずの人たちの中で、自分もみんなと同じことをしている。でも、一人でいることができるのです。つまり、大勢の中の孤独ということです、そういう状態というのは安心感がありました。

吉本隆明(2020)「ひきこもれ」大和書房


陽の光を浴びて、新たな1日のはじまりを嬉しく思う人がいます。

陽の光を浴びて、新たな1日のはじまりを悲しく思う人がいます。


自分にとっては嬉しいことが、他人にとっても嬉しいことだとは限りません。

自分にとっては悲しいことが、他人にとっても悲しいことだとは限りません。


歌いたい人が、歌う。

それで、よいじゃないか。






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高倉大希
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