失われた感謝を求めて
2024年10月9日(水)朝の6:00になりました。
本当のありがとうは、ありがとうじゃ足りないんだ。
どうも、高倉大希です。
読むかどうかを決めるのは、読み手であって書き手ではありません。
だからこそ、読むと決めてくれたあなたにはとても感謝しています。
これがもし、読んで当たり前でしょうと思っていたとしたら。
当然、感謝の気持ちを抱くことなどないわけです。
相手の判断に対する敬意があってこそ、感謝の気持ちが生まれます。
この境目を見誤った瞬間に、わたしたちは簡単に傲慢になってしまいます。
手元に、ペットボトルに入ったお茶があります。
綺麗にラベリングされていて、製造所も記載されています。
このお茶だって、本当はどこかの誰かがつくっています。
多くの人々の努力があったからこそ、こうして手元に届いています。
しかし、このお茶に対して感謝の意気持ちを抱くことはありません。
過程にいるはずの人々が、意識からすっぽりと抜け落ちてしまっているからです。
そんな人々の判断がなければ、手元にお茶はありません。
お茶をつくるかどうかを決めるのは、消費者ではなく生産者です。
ところが、お茶が手元に届くことが当たり前の時代になりました。
買うかどうかを決めているのは、生産者ではなく消費者です。
それにより、生産者への感謝の気持ちが失われることとなりました。
これは感情の問題ではなく、構造の問題です。
だから「感謝しなさい」という言葉には、妙な気持ちのわるさを感じます。
構造の問題を、感情だけで解決しようとしているからです。
理解しなければならないのは、過程にいる人々の存在です。
自分ひとりでできることなんて、そう多くはありません。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日も、読みましょう。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。