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もっと大人だと思っていた
2024年9月1日(日)朝の6:00になりました。
毎朝6:00投稿をはじめて、20ヶ月が経過しました。
どうも、高倉大希です。
20歳は、立派な大人だ。
子どものころは、そんなふうに思っていました。
いま思い返してみれば、20歳なんて尻の青い若者です。
広い世界の片鱗に触れ、過信と戸惑いの間で揺れ動く年齢です。
この歳の人って、もっと大人だと思っていた。
歳を重ねるたびに、ズレを認識させられます。
やりたいことを本当に真剣に考える時期は......ぼくが観察をしていると、二十七歳ですね。それまではだいたいがダメなんです。
自分は変わっていないつもりだったけれど、まわりからは大人だと思われている。
このズレが、いろいろな問題の要因になっているような気がします。
自分にとっては当たり前のコミュニケーションが、パワハラになってしまったり。
自分にとっては当たり前の文章が、おじさん構文になってしまったり。
まわりからしてみれば、ちゃんと歳を重ねているように見えている。
そのような前提で、振る舞わなければならないのかもしれません。
大人であるということは、その人が自分自身のよりどころとする世界観をもっている、ということである。一人前の人間として、自分なりの見方によって、世界を観ることができる。あるいは、自分という存在を、この世のなかにうまく入れこんでいる、あるいは位置づけているといってもよい。
この世には、歳を重ねることは恥ずかしいことだという妙な風潮が存在します。
そのせいで、自分は変わっていないのだと強く信じようとします。
冷静に考えると、変わっていないわけがありません。
仮に変わっていないのならば、この1年間は何だったんだという話です。
変わりゆくことは、前提です。
すなわち、胸を張って歳を重ねるしかありません。
何かをあらわしたいと思っている間はダメなんだ。「あらわれた」というのはいいけどさ。これは難しいですよね、難しいけどおもしろい。だからね、ぼくは、年齢的に長生きしないと損だと思う。
うまくいっていたとしても、うまくいっていなかったとしても。
きっと、いまの自分がいちばんおもしろい。
つぎに歳を重ねるころには、いまよりもずっとおもしろくなっている。
そのくらい、楽観的な心持ちでよいのだろうなと思います。
まわりからは、自分が想像している以上に大人だと思われいている。
わたしたちにできることは、変わりやすさを保つことくらいです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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