![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/114239729/rectangle_large_type_2_b9c55393be97ae7c268c9d4b34d12d43.png?width=1200)
登壇者が神格化される気持ちのわるさ
2023年8月24日(木)朝の6:00になりました。
知性を神格化しないよう、十分に注意しなければなりません。
どうも、高倉大希です。
講演を聴くことは好きですが、講演会という場はちょっとだけ苦手です。
登壇者が神格化される気持ちのわるさを感じるからです。
本来ならば、その話を聴いてどう感じるかは人によって違います。
納得する人もいれば、違和感を抱く人もいて当然です。
ところが、講演会という場では「YES」と応えることが前提にあります。
話の内容に限らず、はじめから「YES」と決まっているのです。
「人」を疑うのではなく、「コト」を疑うのです。この「人」と「コト」を分けて考える習慣をつけておきましょう。
話す側には、なんの責任もありません。
なんなら、そういう場であることを前提にお話しされているのだと思います。
気持ちのわるさの原因は、やはり聴く側にあります。
大したことのない話でも、首がとれそうなほどに頷いて聴いているのです。
ミュージシャンのライブでも、近しいものを感じます。
こうやってノることが正解だ、と言わんばかりの空気がその場に充満しています。
愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。つまり、前章の最後に述べた、他者を経由した自己肯定の状態である。
最近、「ほぼ日の學校」というサブスクに加入しました。
様々な分野で活躍する人の、講演や対談を視聴することができるサービスです。
毎日1コンテンツずつ視聴しているのですが、まさに講演のよいところどりです。
登壇者が神格化される気持ちのわるさを感じることがありません。
画面の向こうにいる登壇者と、ひとりの人間として対峙することができます。
登壇者も視聴者も、おなじひとりの人間です。
服装・頭髪規定を全廃したことより、なによりも、言葉が通じる先生がいることが衝撃だったのです。
そういう意味でも、すごいと思われている人って大変なのだろうなと思います。
おなじ人間と出会っても、相手はおなじ人間だと思ってくれません。
妙にへりくだられて、妙に持ち上げられて。
あなたという人間と、対峙することができないわけです。
サインとか、握手とか。
神格化されてしまう側も、きっと苦労しています。
わたしたちが<自由>になるための最大の条件。それは、<自由の相互承認>の感度を身につけているということなのです。学校は、この感度をはぐくむためにこそ存在しているのです。
この人が、車の助手席で話してくれたらよいのにな。
講演会を聴きながら、いつもこう思います。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
いいなと思ったら応援しよう!
![高倉大希](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/25129371/profile_a6e794fd09fd74f082278ecfba823fec.png?width=600&crop=1:1,smart)