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2025年2月21日(金)朝の6:00になりました。 労働者の権利を駆使した、5連休がはじまりました。 どうも、高倉大希です。 自分は、怠惰である。 何かをはじめるときは、そんな前提に立って計画を組み立てます。 怠惰な自分を、どうすれば布団から引っ張り出せるだろう。 怠惰な自分を、どうすればスマホから引き剥がせるだろう。 と、そんなことを考えます。 計画する自分と実行する自分を、切り分けるというわけです。 フルマラソンの練習も、同じように考えました。 どう
2025年2月20日(木)朝の6:00になりました。 相対化するための視点を、たくさんもっている人はお洒落です。 どうも、高倉大希です。 居心地のよいコミュニティをみつけたら、ずっとそこに居たくなります。 ところが外に出なくなると、思考はだんだん凝り固まります。 居心地のよいコミュニティは、あくまでも本拠地です。 本拠地を基点として、どんどんと外に出ていかなければなりません。 異なるものとの出会いは、思考を広げる契機です。 変な人に出会うからこそ、脳が動くとい
2025年2月19日(水)朝の6:00になりました。 今日も今日とて、二日酔い。 どうも、高倉大希です。 自分は、こういう人間だ。 そう決め込んでしまったら、それ以外のことができなくなってしまいます。 本当は、「それ以外」に価値が眠っていたはずなのに。 本当は、「それ以外」に可能性が秘められていたはずなのに。 勝手に、決めつけてしまうわけです。 たった数十年しか生きていないのに、そんなもの決められるわけがありません。 数多くの人たちが、分岐点で悩みます。
2025年2月18日(火)朝の6:00になりました。 マラソンも終わったので、走っていた時間を何にあてるか考えます。 どうも、高倉大希です。 蛇口をひねれば、水が出た。 そんな特別な瞬間は、多くの人の感動で満ち溢れていたはずです。 蛇口をひねれば、お湯が出た。 そんな特別な瞬間もまた、多くの人の感動で満ち溢れていたはずです。 ところがいまや、普通です。 微細な温度調節だって、当たり前にできてしまいます。 お湯の温度が、上がらない。 水圧が、弱すぎる。 特
2025年2月17日(月)朝の6:00になりました。 フルマラソンで、自己ベストを更新しました。 どうも、高倉大希です。 「しんどいのに、なんで走るの?」 フルマラソンに出場すると伝えると、毎回のように聞かれます。 がんばって説明はするのですが、いつも話が妙な方向に進みます。 なんだかまるで、相手を説得するみたいな構図になるのです。 べつに、相手にも走ってほしいとは思っていません。 走りたくなきゃ走らなきゃいい、ただそれだけの話です。 回数を重ねるごとに、新
2025年2月16日(日)朝の6:00になりました。 これから、42.195km 走ってきます。 どうも、高倉大希です。 自分はとても好きだけれど、相手は微塵も好きじゃなかったらどうしよう。 自分はとてもやる気だけれど、相手は微塵もやる気じゃなかったらどうしよう。 このような熱量の差が、多くの悩みを生み出します。 不安だけが膨らんで、負の循環に陥るわけです。 頭の中で完結させて、動く前から諦めて。 こうして日常は、何ごともなかったかのように明日へと続いていくの
2025年2月15日(土)朝の6:00になりました。 習慣化チームも、いよいよ明日で最終日。 どうも、高倉大希です。 会ったこともない人が、毎日読んでくれていたり。 なかなかに身近な人が、毎日読んでくれていたり。 自分のことを知ってもらうには、この note を毎日読んでもらうのがいちばんだ。 と、最近よく思います。 ひとつの記事に表れるものなんて、ほんの一面に過ぎないけれど。 これだけ書いていれば、否が応にもいろんな面が露呈します。 かつては、身バレをした
2025年2月14日(金)朝の6:00になりました。 遠慮なく、チョコレートをください。 どうも、高倉大希です。 村上春樹の作品は、要約すると何もなくなる。 彼の作品を読むたびに、いつもそう思います。 べつに何も起こっていないのに、数ページが費やされます。 しかもそんな文章を、ものの見事にすらすらと読まされてしまうのです。 なぜあんなにも、すらすらと読まされるのか。 いまだによく、わかりません。 登場人物たちの会話は、極めて独特です。 そんな会話をしている
2025年2月13日(木)朝の6:00になりました。 車があると、行かなくてもいいところにも行くようになります。 どうも、高倉大希です。 食パンをくわえて走っていたら、まち角で転校生とぶつかった。 そんな漫画みたいなできごとが、実際に起こることはありません。 実際に起こることはないけれど、自分の意思で食パンをくわえることは可能です。 食パンをくわえてまちを走ることも、やろうと思えば可能です。 想像どおりの偶然を、起こすことはできないけれど。 偶然が起こりやすい
2025年2月12日(水)朝の6:00になりました。 来週末の3連休を拡張して、5連休にしてやりました。 どうも、高倉大希です。 先日参加したとあるイベントで、お土産が配られました。 そのお土産が、まあいらない。 荷物になるのはもちろんのこと、持って帰ったところで扱いに困ります。 だからといって、いらないと断るわけにもいきません。 そんなときに、同行者のひとりがこんなことをつぶやきました。 「イベントも楽しかったし、お土産までもらえてラッキーでしたね」 決し
2025年2月11日(火)朝の6:00になりました。 極端に前を向いているときは、決まってあんまりよくないものです。 どうも、高倉大希です。 将来は、こんなことがしたい。 将来は、こんなふうになりたい。 そんな将来のイメージは、いまの自分が描きます。 いまの自分が想像できる範囲の中からしか、選ぶことができません。 じゃあ、いまの自分が想像できることって一体どんなもんなんじゃい。 そう考えると、それはもうびっくりするくらいに大したことがないわけです。 たったの
2025年2月10日(月)朝の6:00になりました。 フルマラソンに向けて、昨日は20km走りました。 どうも、高倉大希です。 小学校から高校までは、すでに理論化されているテーマについて学びます。 一方で大学では、まだ理論化されていないテーマについて学びます。 そんな違いをちゃんと理解したのは、社会人になってからのことでした。 高校と大学の間には、明確な違いがあるのです。 言い換えるなら、大学では役に立たないことを学びます。 役に立つかどうかなんて、あとで考え
2025年2月9日(日)朝の6:00になりました。 役に立つ話をされるより、役に立たない話をされるほうがまし。 どうも、高倉大希です。 すべての出会いとすべての対人関係において、 ただひたすら最良の別れに向けた不断の努力を傾けましょう。 アルフレッド・アドラーさんの言葉です。 はじめて聞いたときは、なんて寂しい言葉なんだろうと思いました。 映画『ファーストキス 1ST KISS』には、この言葉がぴったりです。 観終えたころには、なんて前向きな言葉なんだろうと思
2025年2月8日(土)朝の6:00になりました。 今日も今日とて、人に会いに行きます。 どうも、高倉大希です。 校長先生の話を、つまらないなと思いながら聞いている。 そんな、小学生でした。 校長先生自身は、その話を本当におもしろいと思っているのだろうか。 校長先生が子どもだったころは、自分と同じように思っていなかったのだろうか。 これらは決して、嫌味ではありません。 純粋に、そう思っていたのです。 わりと多くの人たちが、自分と同じようにつまらないと思って聞