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柿の種

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毎朝6:00に更新します。
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#思考

変な人に出会い続ける

2025年2月20日(木)朝の6:00になりました。 相対化するための視点を、たくさんもっている人はお洒落です。 どうも、高倉大希です。 居心地のよいコミュニティをみつけたら、ずっとそこに居たくなります。 ところが外に出なくなると、思考はだんだん凝り固まります。 居心地のよいコミュニティは、あくまでも本拠地です。 本拠地を基点として、どんどんと外に出ていかなければなりません。 異なるものとの出会いは、思考を広げる契機です。 変な人に出会うからこそ、脳が動くとい

本を読まないということは

2025年2月1日(土)朝の6:00になりました。 毎朝6:00投稿を、25ヶ月つづけました。 どうも、高倉大希です。 本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。 小説家、太宰治の言葉です。 本なんて、読まないに越したことはない。 冒頭の言葉をそう解釈した人は、孤独のことを悪だと捉えている人です。 本なんて、読むに越したことはない。 冒頭の言葉をそう解釈した人は、孤独のことを善だと捉えている人です。 太宰の文脈は、後者です。 言葉の節

問題を解決したら次の問題が顔を出す

2025年1月29日(水)朝の6:00になりました。 フルマラソンが、着々と近づいてきました。 どうも、高倉大希です。 目の前の問題を解決したら、次の問題が顔を出します。 次の問題を解決したら、また次の問題が顔を出します。 もはや、自分たちで問題を生み出しているんじゃないか。 際限なく続くのなら、解決しても仕方がないんじゃないか。 そんなふうに、思っていたこともありました。 問題がある状態を、悪だと捉えていたわけです。 問題を連れてくるのは、いつだって理想で

手放す、軽くなる、満ちてゆく

2025年1月24日(金)朝の6:00になりました。 金曜日を、駆け抜けます。 どうも、高倉大希です。 先生のことを、お母さんと呼んでしまった。 他者にとってはよくある笑い話でも、当人にとっては大ごとです。 勢いが足りずに、跳び箱の上に乗ってしまった。 他者にとっては何でもないできごとでも、当人にとっては大ごとです。 子どものころは、ひとつの恥が命とりです。 薄めるための素材を、持ち合わせていないからです。 大人になると、目の前のできごとを相対化することが可

not A に思いを馳せる

2025年1月23日(木)朝の6:00になりました。 カレンダーなんて、空白が多いに越したことはありません。 どうも、高倉大希です。 制服を、廃止しよう。 そう主張したければ、制服が現存している理由を考えなければなりません。 制服が現存している理由を考えないままに、デメリットだけをただただ並べる。 それだとただの水掛け論に、なり下がってしまいます。 何かを主張するということは、対にあるものに思いを馳せるということです。 A について考えるということは、not

魅力的な人は両方をもっている

2025年1月16日(木)朝の6:00になりました。 また、車を探す日がやってくるとは。つぎは、セダンに乗りたいぜ。 どうも、高倉大希です。 自分の意見を、もっている。 でも、人の意見にもちゃんと耳を傾けられる。 こだわりを、もっている。 でも、時と場合によってはそのこだわりを捨てられる。 魅力的な人を見ていると、両方をもっているよなと思います。 矛盾するように見えるふたつを、兼ね備えているのです。 自分の意見を頑なに貫き通そうとする人は、しんどいなと思いま

流れる時代の真ん中で

2025年1月15日(水)朝の6:00になりました。 2周目の「水曜どうでしょう」を、観はじめてしまいました。 どうも、高倉大希です。 戦争によって、国民という意識が強固になった。 共通の敵に対して、一丸となって戦った。 ところが、敗戦を迎えた。 一丸となりすぎるのはよくないので、これからは多様性に重きを置こう。 こうして個別化が進み、孤独を抱える世界になった。 はじめて耳にしたときから、ずっと記憶に残っているお話です。 とてもざっくりとした話ですが、流れは

贅沢な名だね

2024年12月28日(土)朝の6:00になりました。 年末年始の飲み歩き旅、本日よりスタートです。 どうも、高倉大希です。 むかし、金縛りがひどい時期がありました。 睡眠と覚醒の間で、身体が動かなくなるあれです。 いわゆる、身体は寝ているけれど脳は起きているという状態です。 がんばって動こうにも、どうしても動けません。 はじめて金縛りにあったときは、こんなふうに思いました。 「ああ、これが金縛りか」 意外と冷静な自分に、驚いた記憶があります。 はじめての

道徳の授業が嫌いでした

2024年12月24日(火)朝の6:00になりました。 クリスマス・イブだろうと、朝の6:00はやってきます。 どうも、高倉大希です。 小学生のころ、道徳の授業が嫌いでした。 歌のテストよりも、冬の持久走よりも、道徳の授業が嫌いでした。 本来は、お年寄りから「席を譲ってほしい」と頼むのが筋ではないか。 どうして自ら席を譲らない若者が、悪者みたいになっちゃうんだ。 道徳の授業のたびに、そんなもやもやが頭の中でうず巻いていたわけです。 先生に言ってみたこともありま

たまたま、いまここにいるから

2024年12月19日(木)朝の6:00になりました。 運よく、ここまで生きのびました。 どうも、高倉大希です。 揚げ出し豆腐が好きなのはきっと、たまたま日本に生まれたからです。 アメリカに生まれていたらきっと、ハンバーガーを好きになっています。 自分の命を大切にしようと思うのはきっと、令和を生きているからです。 戦国時代に生きていたらきっと、戦に命を捧げています。 いま考えていることは、たまたま自分がここにいるから生まれています。 自分が立つ位置を変えれば、

自己肯定感なんてちょっと低いくらいでいい

2024年12月1日(日)朝の6:00になりました。 今日から、毎日ランニングを開始します。 どうも、高倉大希です。 日本人は、自己肯定感が低い。 そんな言葉を耳にするようになって、はや数年が経ちました。 自己肯定感が低いから、自己肯定感を上げないと。 いまもなお、自己肯定感という言葉がひとり歩きを続けています。 肯定感だなんて言うものだから、高い方がよいと決めつけてしまいがちです。 でも実際は、ちょっと低いくらいでいいのではないかと思うのです。 自分のこと

当たり前を信じてあげてもいいじゃない

2024年11月27日(水)朝の6:00になりました。 右足出して、左足出すと、歩ける。 どうも、高倉大希です。 毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど697目になりました。 2023年の1月1日にはじめているので、もうすこしで丸2年になります。 お風呂に入る、歯を磨く、ごはんを食べる、服を着替える。 毎朝6:00に、文章を書く。 いまとなってはもはや、当たり前になっています。 何ならむしろ、書かない方が気持ちわるいくらいです。 そんな当たり前に対して、すごいと

流れる疑問の真ん中で

2024年11月21日(木)朝の6:00になりました。 ねむれどねむれど猶、わが眠気無にならざり。 どうも、高倉大希です。 自己肯定感は、高ければ高いほうがいい。 はたしてこれは、本当か? 学校で勉強したことなんて、大人になったらつかわない。 はたしてこれは、本当か? 誰かにとって都合がよいから、そう言われているだけではないか? 自分にとって都合がよいから、そう思っているだけではないか? じゃあ、自己肯定感は低い方がいいって言うのかよ。 じゃあ、大人になっ

この世は「やった方がよさそうなこと」だらけ

2024年11月19日(火)朝の6:00になりました。 書くことで身につくものは、あらゆる場面で活きてきます。 どうも、高倉大希です。 自分がやらなくてもよいことは、とことんやらない。 いわゆる「仕事ができる人」を観察していて、気がついたことのひとつです。 はじめは、あらゆる仕事を手際よくこなす人が該当すると思っていました。 ところがそのような人は大抵、一定のラインで頭打ちを迎えます。 本当にできる人は、やらなくてもよいことを見事なまでにやりません。 言い換え