「今、生きている経験」を求めて【初トライアスロン前編】
レースの1週間前のこと。淡路島1周150kmを1日で走り終えた松木さんのトークライブは冒頭、この一節から始まった。それを聴いて間違いなく、僕もこの「今、生きている経験」を求めて今回トライアスロンのレースに出るのだと確信した。
では僕は一体、この通過儀礼(イニシエーション)というべき「今、生きている経験」から何が見えたのだろうか?
これは僕のヒーローズ・ジャーニーである。これを読まれた方の何かの参考になれば幸いである。
*
大阪城の東堀。午後1時ごろ。灰色の雲から雨が本降りになってきた。もうすぐ僕が初めて参加するトライアスロンのレースが始まろうとしていた。
真っ黒なウェットスーツに身を包んだ人たちが200人近く、列をなしている。僕のその中団あたりに立っていた。さっき降り出した雨はどんどん強くなってきている。どうせ、この後ずぶ濡れになるのだから関係ないけど、体がどんどん冷えてくる。公式HPの発表で朝の段階での水温は19.8℃。銭湯の水風呂位の冷たさだ(結構冷たい)。
ウォーミングアップで一度、水に浸かったけどウエットスーツのおかげで、冷たさは想像していたよりはマシだった。何とかなるかな?と思ったけど、これがかなり甘い考えだったと後から思い知らされることになる。
13時25分、ホーンの音と共にいよいよスタート。3人ずつが5秒ごとに大阪城の堀へどんどん飛び込んでいく。まずはこの堀を1周750m泳ぐ。
出だし、さほど周りの人と接触せずにスタートすることができた。いいぞ。ウェットスーツのおかげで浮力が増し、いつもより楽に泳げている気すらした。しかし大阪城の堀なので水中の視界はゼロに等しい。緑色の水の中は何も見えない。時々顔を上げて、目標の位置を確認しなくてはならない。結構首が疲れる。
やがて、周りにどんどん人が増えてくる。みんな最短ルートを狙ってくるので当然だ。やがてスイマー同士、体の接触が増えてくる。前から、横から、後ろから足や手が当たってくる。お互い視界が悪いから仕方がないけど、一気にリズムが崩れる。
突然、脇腹にドンと蹴りをくらった。その衝撃でタイミング悪く、水を飲んでしまった。僕は混乱して溺れそうになり、パニックになりかける。
突如、今まで経験したことがない恐怖が襲ってきた。人は(特に男性)過去に経験したことがない状況になると、解決策が無く思考が追いつかなくなりパニックになる。
しかし同時に「冷静になれ!」「大丈夫、落ち着け」と自分を自分で落ちかせる。
何とか立ち泳ぎしながら水を吐き出し、呼吸を落ち着かせる。吸うことよりもしっかり吐くことに集中する。すると何とか落ち着きを取り戻すことができた。
平泳ぎで人の流れを見ながら、人が少ないコースを選んで泳ぐ。もう接触はゴメンだ。しかし一度崩れたリズムは一向に回復せず、いつものクロールのフォームが掴めない。慣れない環境と水温の冷たさに体が硬っているのか、腕が思うように回らない。重い。呼吸もかなり苦しい。明らかにいつもと違う。
ペースが全く上がらないが、それでも何とか中間点のブイを折り返し、後半戦に差し掛かった。
「後、半分。いける!」と思った矢先、右太ももの内側、内転筋が悲鳴を上げ始めた。
何で、こんなところが?
これまで泳いでいて一度も攣ったことがない箇所である。痛みを無視して前へ進もうとするのだが、どんどん痛みが増してくる。そしていよいよ内転筋が攣ってしまった。
痛い!これまで攣ったことがない場所だから余計に痛い。
「もう無理。無理無理無理。リタイアしよう!!」
そんな自分の声が聴こえた。
「そうだよな。これでリタイアしてもしゃあないよな」
体が止まりかける。
しかし「ふざけんな!!何のためにここまで練習してきたんや!!!」と違う自分が出てきた。
止めようとする力と、前へ進もうという意思が激しくせめぎ合う。
僕はまた腕を回し始めた。必死でフォームを取り戻そうとする。
まだ少しだけ、前へ進もうとする意思が優っている。
しかし太ももは痛い。めっちゃ痛い。体のバランスが取れない。僕はグネグネと迷走しながら泳いでいた。
どうしたら、この痛みから逃げられるんだ?
いろんな方法を考えるが全くいいアイディアが思いつかない。やはりリタイアしてしまうのか?嫌だ。それは絶対に嫌だ!
すると僕は突如、スエットロッジに入っていた時、松木さんに言われたことを僕は思い出した。
「痛みをないことにするな。それがどうなろうとしているのかを感じろ」
では、この足を引き裂かれそうな痛みはどうなろうとしているんだ?
意識を痛みに向ける。
ある。そこに痛みがある。確実にある。
この痛みをないことにはできない。
それなら一緒にいるしかない。
そこに「ある」ものを「ある」と認識する。
「今にいつづけろ。感覚に根ざしつづけるんや」
聴き慣れた声が聴こえてきた。
やがて僕は痛みを許容できるようになった。その痛みも僕の一部なのだと感じることができていた。
とてもゆっくりだが僕は前へ進んでいた。しばらくして顔をあげるとゴールが近づいているのに気づいた。
そして、ようやくスイムパートはフィニッシュを迎えた。
時計を見ると散々なタイムだったが、とりあえず泳ぎ切った。
あ〜、よかったぁ。
僕は這うようにして堀からのスローブを上がった。身体は鉛のように重いが歩くことはできる。少なくとも好きなだけ呼吸できるのはありがたかった。
僕は右足を引き摺りながら、自転車が待つトランジション(中継所)へ向かった。
雨はどんどん強くなっていた。
<続く>
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