ぶきようで・・・
母方祖父の思い出となると、無口なイメージ。
父方祖父同様、黙っていても威厳があるが、父方と違って どうも
近寄りがたかった。
しかし、これまた怒られた思い出がない。
大手企業に勤めていた祖父だったが、仕事の話もしたことはない。
公私を分けていたのではないかと思う。
幼い頃は 何とも感じなかったが、大人になり ふと応接間にトロフィーが沢山並んでいたことを思い出す。
接待などでゴルフをしていて良い結果=上手だったのだろうか?と、今更思いだし 話しておけばよかったと思っている。
(時代が時代なだけに、当時 ゴルフとは驚きである。)
そんな祖父が苦手?なことがあった。
近くに祖父がいると・・・眉間に皺を寄せて険しい顔で「おなかが痛い」「腰が痛い」と。
毎回 その言葉しか祖父の口から出なかった。
TVを観ていても、この言葉である。
そのたびに、「ハイハイ…いつものことね」「おとうさん、子供たちに笑われますよ」と祖母。
優しいおばあちゃんが、素っ気ない。
しかし祖母の顔は笑っている。子供ながらに「?」。
そんなある日。
祖母曰く「そばにいておやりなさい。」と。
そのたびに、眉間に皺を寄せて…近くに行く。
あれこれと話しかける。
祖父は、例の「足が痛い、腰が痛い」痛い痛いと。
そんな光景だった。
私が大人になり、この光景を思い出し母に問うと思いがけない話で苦笑いと大笑いだった。
私: おじいちゃんってさ、いつも遊びに言ったら痛い痛いって。
どこが悪かったの?口を開いたら、それしか言わなかったよね。
母: ( ^ω^)ふふふ。何処も痛くなかったのよ。
私: は?どこも痛くないって?だって痛い痛いと連発だったじゃん。
それ以外は、庭の作物の話ばかり。は?痛くなかった?
母: おじいちゃんは、お母さんが苦手だったらしいのよ。
お母さんが独身の頃 話し相手になってたの。
その割に、厳しく「はやく嫁に行きなさい」と言いすぎて、実際
遠くに嫁に行かせたら話し相手がいなくなって寂しがってたらし
いわ。遠くに嫁にやったの後悔するくらい。
(縁側で「あんな遠くに嫁にやるんじゃなかった」と口にし寂
しそうにしていたらしい。)
だからお母さんが帰省するとわかると直前までソワソワ。
「いつ来るのか?何時に来るのか?」と怒るくらい。
アレコレしてやりなさいと、おばあちゃんに指示して煩かったらし
い。
実際帰ってきたら、素知らぬ顔で「痛い痛い」とお母さんやあなた
たちの気を引こうとする
実際は、何処も痛くなかったの。
愛情表現が下手。不器用さんだったのよ。
お母さんもおじいちゃんは厳しかったから苦手だったけど、今思うと
もっと優しくしてやればよかったと思ってるわ。
痛いのは、心が痛い=娘に愛想よくできない自分に痛いだったのか
もね。おじいちゃんらしいでしょ?
帰省するたびに、祖母が母に度々「お父さんのそばにいてやりなさい」と
言っていたのを思い出す。
母は、苦笑いしていた。
祖父母の家に帰省は楽しみだったが、一番楽しみにしていたのは 優しい娘=母に会うのを楽しみにしていた祖父だったのかもしれない♪
父娘の良い風景・思い出である。
♪ おじいちゃんへ
無言でも印象が大きかったよ。
キンカンの実をもいでは無言で渡す姿は何ともね。
行きも帰りも、階段下でおばあちゃんと仲良く立つ姿は未だに忘れない
姿であり思い出です。
来世があるなら、また二人の孫で生まれたいわね♪(T~T)