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𝙘𝙖𝙡𝙡 𝙢𝙚 𝙗𝙮 𝙣𝙤 𝙣𝙤𝙫𝙚𝙡
あらすじ
とある人物の死により、物語が始まる。その人物は小説を何より愛していた。だが、小説ごと自分の命を絶った。焚書――自らを燃料として一冊の本を焼いたのだ。それが一体何故なのか、時は巻き戻り、一人の男子学生と後の天才小説家が出会いを果たす。
大学四年生になり、まだ彼女の一人も出来たことも無い修は、卒論研究として同じ研究室に配属された女子学生に、恋をする。その女性――レノは、修の知る誰よりも可
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第2話 手のひらの春をそっと握り潰すように
手のひらの春をそっと握り潰すように。
君を思い出す時、私はいつもそうなのだ。
四年生になり、卒論のための研究室配属がされた。それが修には、酷く憂鬱なことだった。留年の心配とか、そういうことではない……ある意味ではそうなのだろうか?
修の配属研究室は、いわゆる落ちこぼれが行くところだった。GPAが低かったり、休学や留年を経験していたりする、脛に
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第3話 最も簡単で安易な自己否定とは憧れである
最も簡単で安易な自己否定とは、何かへの憧れである。尊敬、憧憬、すなわちそれは、現在の自分を卑下する行為に他ならない。自らに満足しないから、他の何かになろうとするのだ。尤も、それは存在の基本であり、進化の原則である。
五月のこと、桜がとうに散っても、修の心には一輪の花が咲いていた。あるいは桜が散ったからこそ、その他の花が草丈を伸ばし、若葉を茂ら
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第4話 離れ小島のロビンソンにはなるな
レノはゼミ仲間の中でも居室に居る率が高かったので、修もよく居室に行くようになった。もはや意味も無いのに通っている。居る間の快適度を上げるつもりで片付けをしたら、ゼミのメンバーから褒められてしまった始末だ。確かに、デスクの移動や床の掃除は一筋縄ではなかった。備え付けの冷蔵庫なんて賞味期限が六年前の調味料や謎の薬品(アルコールがどうたらと書いてある)が山のよ
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第5話 詩神ミューズの加護無きところ
生まれながらの間抜けを思索型の人間に作り替えることは出来ない。間抜けは間抜けのままで一生を終える。彼らは精神が貧弱且つ卑俗であり、牡蠣とシャンパンが人生のクライマックスであるとされている。
上記の言葉が頭の中であって、私を救ってくれた。昔、あまりにも親と話が合わないので、軽はずみにも人生に絶望していた。家族の中で異端は私だ。でも自分が変わろうとは思えなか
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第6話 アンドロギュノスの半身
不完全であればあるほど、補完しようと他存在を求める。それは同じく人間でも、それ以外の動物をペットにすることでも、宝石を買いあさることでも、綺麗に着飾ることでも、絵画を飾ることでも、たくさんの現れがある。
時は流れ過ぎ去り戻らない、そう思っていたことが確かに私にもあった。けれど時とは、自らの内から溢れ出ていくものであることを、私は知った。つまるところ、私の変化が
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第7話 茎が無ければ蓮も無い
こう言っては何だが、私には相対した人を教え導く才能があると思う。そしてその才能は、私の欲し求める自分の在り方とは雲泥の差がある。私は、手の届く範囲の教育など興味が無い。街中の子供や同級生相手に、教科書をなぞることにはいささかも価値を感じない。
プラトンのイデア、カントの物自体、ショーペンハウアーの意志、永遠不変、完全無謬。
前述のことで誤解されている方が居るか
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第8話 知の糧
趣味を知れば、その人の本当の知的レベルが推し量れる、とは、アリストテレスやショーペンハウアーなど往々の賢者が述べていることである。例えばギャンブルばかりしている人間は、表の顔がいかにやり手の営業マンだったとして、たかが知れている。逆に普段は穏やかな人間が実のところ思索に耽り熱いものを抱えているとしたら、私はその人をとても尊敬する。虚栄心は人をお喋りにし、誇りは寡黙にするという言
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第9話 泳げマグロ! 書け小説!
とんちきな題で驚かれたかもしれない。だが私にもそういうジョークを言いたいときはある。私はジョークが好きだ。それも馬鹿げていれば馬鹿げているほどいい。人生は悲劇一辺倒だが、悲劇も引きで観れば喜劇とは言われている。なら人生は悲劇でありながら喜劇なのだ。ジョークの一つも言わないでどうすると言うのだろう?
だが、このとんちき極まりないナンセンスな小題も、意味が無いわ
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第10話 L'Art pour l'art、
これが祈りであることを念頭において、私はとある思想を抱いている。
というのも、虚像しか愛せないのはおかしなことではない。人は誰しも、鏡でしか自らを見たことが無いのだから。
それから、修はレノのことを見定めることにした。レノとは一体何なのか、彼の中では葛藤が繰り広げられていた。その間も、レノはいつも通り優しかったし、ゼミの資料作りを自分のことの
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第11話 まな板のコイ
私にとって、現実の恋はまな板の鯉と並行に存在する。つまるところ、見ることも触れることも匂いをかぐこともできるが、中を覗き見ようとすると、それはもう死んでいるか、殺すしかない。生きたまま包丁を入れて内臓をまさぐるのは、料理人でもない私にかろうじて残っている動物愛護精神に反する。既に冷たくなったそれを、指先でツンツン突くか、裏表ひっくり返してつぶさに観察するか、許されている
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第12話 沈黙せよ
私のくだらない問いに、一定の回答を提示してくれたのは、かの大文豪レフ・トルストイであった。彼は敬虔なキリスト教的な人生論で以て、私の暗雲をほんの少しだけだが切り払いしてくれたのである。曰く、「愛について議論してはならないし、愛についてのあらゆる議論は愛を滅ぼす。だが愛について議論せずに居られるのは愛を理解している者だけで、ほとんどの人間は議論することにより愛を示す」
要す
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第13話 小説の無い人生
この心を覆っている皮膚を抜け出して、どこか遠くに行きたい。この脳髄全てを投げ出して、何か別のもので満たしたい。そういう祈りが、いつからか消えない。
美味しいものを食べる、酒を飲む、誰かと話す、買い物をする、そういう欠乏を埋めるだけの短絡的な快楽で満足できない。したくない。許せない。
私は我が儘なのかもしれないし、きっとずっとそうだ。
自分の正しさを出来るだけ多く
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第14話 選り好むことを愛と呼ぶ
ラ・ロシュフコーは、ある人をたいそう尊敬すると同時に激しく恋するのは難しいと述べている。従って、恋愛か尊敬か、人はどちらかしか選ぶことは出来ない。ただ、恋愛とは利己的なものである。常に、利己的である。私は哲学者ではないし、その思想に追随することしか出来ない愚かな人間の一人だが、これは正しいと思う。
私は、あなたに利己的だった。分かって欲しいと思うことは、利