一生小説だけ書いて死にたい

来世はバオバブです。 いっぱいいいねしろ。 人生が言葉なら良かった。

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最近の記事

蜘蛛の夢

 仔細は忘れたが、蜘蛛の夢を見た。その日、僕は二匹の蜘蛛を家の中で見つけ、殺した。  次の日、少し昨日より少し大きめで半透明な、小指の先くらいの蜘蛛が壁を上っていた。クリーム色の壁の上をじりじり足を動かすそれは、夢のそれによく似ていた。こいつだったかと思った。ティッシュを何枚も重ねて、殺した。  多分、季節柄だと思う。卵が孵ったとか、もしくは窓の隙間から団体で来たのかもしれない。昔は蜘蛛一匹すら殺せなかったが、今となっては容易いものだ。  だが蜘蛛の夢を見たのは、まだ不思議だ

    • 生活

       生活がにじり寄って居た。僕は眠れもせず、温かく朧げな小さな光をつけて、カフカを読んでいた。  ほとんど世捨て人の生活を送っていた。時々世間を思い出しては、ベッドで転がって泣くことがあった。カーテンは閉め切っていた。それでも足りないので。真っ黒な遮光カーテンを買って、元の遮光カーテンと二重にした。随分マシになった。だがまだ足りない。  のっぴきならない事情で、僕は世間に出て行かなければならなくなった。人には会いたくなかった。人は好きだが、この上なく苦手だった。人とかかわった後

      • 永遠と停滞と月明かり

         休もうとして休めるなら、それは幸福だ。それが出来ずに終わりの無い思考に延々と磨り潰される、壊れかけの歯車が壊れないままずっとギシギシ回るみたいな、そんな状態になれば、悲惨だ。  亜門は昔、ミシェルに対してそれを感じたことがある。それは――ある冬の日のことだった。冬の、朝……朝の陽射しが重く垂れ込めた雲を通して、薄い光彩をカーテン越しに届けていた。  ミシェルは夜型なので、朝早くに起きているのは意外だった。だがそのぼんやりと絶望した面影が、朝を拒絶するように虚ろに凪いでい

        • 中編ミステリー

          月が眩しい。 月が眩しい。  月が眩しい。そういう月夜だ。私は退屈な机に突っ伏して、来もしない客を待っている。カフェのバイトは慣れてきたが、慣れとはすなわち退屈をも意味している。ひんやりと差すようだったテーブルの冷たさも、今やすっかり私の体温が伝播して温くなった。同じことだ。  それにしても、薄暗い店内に差し込む月明かりが、本当に眩しい。退屈な装飾の店内に退屈なカフェミュージック。長い夜の勤務時間で、情動的なのは月明かりだけだ。尤も、店内奥に居る私に、月そのものは窺えない

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        • 超短編・即興小説
          3本
        • ミステリー集
          3本
        • 𝙣𝙤 𝙣𝙤𝙫𝙚𝙡
          14本
        • シュレディンガーの君
          49本
        • 届かないから永遠(ミステリー)
          2本
        • MBTIミステリー
          1本

        記事

          傲慢な祈り

           とある初夏、夕暮れ、空き教室の隅、開いた窓、揺れるカーテン、風に靡く前髪。  あたかも己自身がカメラか何かのように、瞬間を記憶している。刻一刻と傾く太陽に、何かを想いながら。止まったペンと、綺麗なままの紙一枚と、憂いを秘めた横顔、閉じる瞳。突いた右手は、ペンを持つのとは逆に、時折頬を爪で引っ掻いている。エアコンの切られた放課後では、上気した頬が、まるで遠い地平線の斜陽みたいだ。そのうち落ち着くだろうが、今は、まだ。 「……おい」  うなるような音が口から出て、亜門は自

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          第14話 選り好むことを愛と呼ぶ  ラ・ロシュフコーは、ある人をたいそう尊敬すると同時に激しく恋するのは難しいと述べている。従って、恋愛か尊敬か、人はどちらかしか選ぶことは出来ない。ただ、恋愛とは利己的なものである。常に、利己的である。私は哲学者ではないし、その思想に追随することしか出来ない愚かな人間の一人だが、これは正しいと思う。  私は、あなたに利己的だった。分かって欲しいと思うことは、利己的だ。  静かな部屋に一人、暗くなり始めた空に白月がぽっかり浮かぶ。昼の間は

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          第13話 小説の無い人生  この心を覆っている皮膚を抜け出して、どこか遠くに行きたい。この脳髄全てを投げ出して、何か別のもので満たしたい。そういう祈りが、いつからか消えない。  美味しいものを食べる、酒を飲む、誰かと話す、買い物をする、そういう欠乏を埋めるだけの短絡的な快楽で満足できない。したくない。許せない。  私は我が儘なのかもしれないし、きっとずっとそうだ。  自分の正しさを出来るだけ多くの人に押し付けたい。私が文章を書く理由が、きっとこれに尽きるだろうから。  けれ

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          第12話 沈黙せよ  私のくだらない問いに、一定の回答を提示してくれたのは、かの大文豪レフ・トルストイであった。彼は敬虔なキリスト教的な人生論で以て、私の暗雲をほんの少しだけだが切り払いしてくれたのである。曰く、「愛について議論してはならないし、愛についてのあらゆる議論は愛を滅ぼす。だが愛について議論せずに居られるのは愛を理解している者だけで、ほとんどの人間は議論することにより愛を示す」  要するに、ほとんどの人間にとって、愛とは選り好みである。そして選り好みは差別無くては

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          第11話 まな板のコイ  私にとって、現実の恋はまな板の鯉と並行に存在する。つまるところ、見ることも触れることも匂いをかぐこともできるが、中を覗き見ようとすると、それはもう死んでいるか、殺すしかない。生きたまま包丁を入れて内臓をまさぐるのは、料理人でもない私にかろうじて残っている動物愛護精神に反する。既に冷たくなったそれを、指先でツンツン突くか、裏表ひっくり返してつぶさに観察するか、許されているのはそういうものだ。  私の好きな言葉にヴィトゲンシュタインの「語り得ないものに

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          第10話 L'Art pour l'art、  これが祈りであることを念頭において、私はとある思想を抱いている。  というのも、虚像しか愛せないのはおかしなことではない。人は誰しも、鏡でしか自らを見たことが無いのだから。  それから、修はレノのことを見定めることにした。レノとは一体何なのか、彼の中では葛藤が繰り広げられていた。その間も、レノはいつも通り優しかったし、ゼミの資料作りを自分のことのように手伝ってくれた。その朗らかな微笑みに、嘘偽りは見えない。どんな瞬間、どんな

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          第7話 茎が無ければ蓮も無い  こう言っては何だが、私には相対した人を教え導く才能があると思う。そしてその才能は、私の欲し求める自分の在り方とは雲泥の差がある。私は、手の届く範囲の教育など興味が無い。街中の子供や同級生相手に、教科書をなぞることにはいささかも価値を感じない。  プラトンのイデア、カントの物自体、ショーペンハウアーの意志、永遠不変、完全無謬。  前述のことで誤解されている方が居るかもしれないが、私は両親のことは好きだし、関係も良好である。何度かの衝突の末、私た

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          第9話 泳げマグロ! 書け小説!  とんちきな題で驚かれたかもしれない。だが私にもそういうジョークを言いたいときはある。私はジョークが好きだ。それも馬鹿げていれば馬鹿げているほどいい。人生は悲劇一辺倒だが、悲劇も引きで観れば喜劇とは言われている。なら人生は悲劇でありながら喜劇なのだ。ジョークの一つも言わないでどうすると言うのだろう?  だが、このとんちき極まりないナンセンスな小題も、意味が無いわけでは無い。ナンセンス文学には高度なセンスと言語的知識が必要なように、私だって全

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          第8話 知の糧  趣味を知れば、その人の本当の知的レベルが推し量れる、とは、アリストテレスやショーペンハウアーなど往々の賢者が述べていることである。例えばギャンブルばかりしている人間は、表の顔がいかにやり手の営業マンだったとして、たかが知れている。逆に普段は穏やかな人間が実のところ思索に耽り熱いものを抱えているとしたら、私はその人をとても尊敬する。虚栄心は人をお喋りにし、誇りは寡黙にするという言葉もあるように、見せかけに騙されてはならない。  とはいえ、精神的欲求を持たない

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          第6話 アンドロギュノスの半身  不完全であればあるほど、補完しようと他存在を求める。それは同じく人間でも、それ以外の動物をペットにすることでも、宝石を買いあさることでも、綺麗に着飾ることでも、絵画を飾ることでも、たくさんの現れがある。  時は流れ過ぎ去り戻らない、そう思っていたことが確かに私にもあった。けれど時とは、自らの内から溢れ出ていくものであることを、私は知った。つまるところ、私の変化が、時を示す。  独断論のまどろみという言葉がある。ほとんどの私たちはまどろみの中

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          第5話 詩神ミューズの加護無きところ  生まれながらの間抜けを思索型の人間に作り替えることは出来ない。間抜けは間抜けのままで一生を終える。彼らは精神が貧弱且つ卑俗であり、牡蠣とシャンパンが人生のクライマックスであるとされている。  上記の言葉が頭の中であって、私を救ってくれた。昔、あまりにも親と話が合わないので、軽はずみにも人生に絶望していた。家族の中で異端は私だ。でも自分が変わろうとは思えなかった。正しいのは私だ。  私には親が、まるで豚のように見えた。ここで言う豚とは、

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          第4話 離れ小島のロビンソンにはなるな  レノはゼミ仲間の中でも居室に居る率が高かったので、修もよく居室に行くようになった。もはや意味も無いのに通っている。居る間の快適度を上げるつもりで片付けをしたら、ゼミのメンバーから褒められてしまった始末だ。確かに、デスクの移動や床の掃除は一筋縄ではなかった。備え付けの冷蔵庫なんて賞味期限が六年前の調味料や謎の薬品(アルコールがどうたらと書いてある)が山のように出て来た。思わず顔を顰めつつ綺麗さっぱり取り除いた行動は、傍から見れば綺麗好

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