感覚を言語化する -モルドバワインを例に-
1 イエメンのフーシ派が、紅海やアラビア海を航行する船舶を攻撃しているらしい。
残念ながら私は、自己の経験の延長線上でしか想像力を働かせることが出来ないので、そうした記事を新聞で読んでも、「へぇ~」という感想を抱く程度たった。
しかしながら、フーシ派のせいでヨーロッパからの船便が(スエズ運河を避けて)喜望峰周りの航路を余儀なくされた結果(1週間くらい余計な航行日数が掛かるらしい)、船賃が上昇し、それがワイン価格の値上げに繋がっていると聞くと、イエメンの内戦も全くの他人事とは言えなくなってくる。
先日、いつものように近場のワインショップ(個人経営)に行くと、店主の方から「面白いワインが入荷しました」と声を掛けられた。
彼は、私がワインに1本2000円までしか出さないことを知っている(「すっかりケチ兵衛」を自称している)ので、「面白い」としたら産地だろうと当たりを付けて、「どこのワインですか?」と尋ねると、「モルドバです」という答えが返って来た。
モルドバ?
何でも、旧ソ連邦を構成していた国家(ウクライナの西隣に位置する)のひとつで、ワインにかかる関税が(EU内のそれと比べて)安く、その分だけ小売価格も安くなっているという。
2 私が勧められたのは、「トテム ララ ネアグラ」というワインである。
「ララ ネアグラ」は、モルドバの地のブドウ品種らしく、味の想像が全くつかない。
「どんな味ですか?」と問うと、
「ブドウの味がします」という回答だった。
抜栓してみると、最初に口に含んだ時は変な苦みを感じたが、その手の苦みは空気に触れさせれば飛んでくれるので、しばらく経ってからもう一口飲んでみた。
確かに、ブドウの味がする。
個性的だが、なかなかに美味しい・・・
このワインの特徴をティスティング用語を用いて記述すれば、
という表現になるのだろう。
ただ、ティスティング用語に通じていない私にとっては、「珍しい産地の、果実味溢れる、コスパの良いワイン」といったシンプルな表現の方がずっと購買意欲を掻き立てられる。
3 以前、「人間は五感を共有していないので、(シンクロ率100%という意味での)完全な相互理解は不可能だ」と書いた事がある。
その一方で、「人間は社会的動物である」から、社会を維持形成するためには、お互いの意思疎通が不可欠である。
感覚を直接共有する形での意思疎通が(物理的に)不可能なので・・・「攻殻機動隊」で描かれたように、遠い未来にそれが実現する日が来るかもしれないが・・・、人間は今のところコミュニケーションに言語を用いざるを得ない。
言語によるコミュニケーション(身振り手振りのような身体的言語も含む)においては、感覚を言語化して伝える事が非常に難しい。
ティスティング用語のような高度の比喩表現を用いるには、個別の用語が何を言い表しているのか?という点についての共通理解が不可欠である。
そのような共通理解を有している人々にとっては、そうした比喩表現は(少ない言葉数でかなりの情報量を伝達できるから)非常に便利であるものの、それ以外の人々にとっては、何を言っているのか全く分からないジャーゴン( =仲間うちだけに通じる特殊用語。専門用語。職業用語。転じて、わけのわからない、ちんぷんかんぷんな言葉。Weblio辞書より引用)にしかならない。
私の場合、(有料記事を除き)武術に関する話題をマクラにしつつ、人間社会について思っている事を、武術を稽古していない人も含めた全ての読者の方に向けて、書いているつもりである。
したがって、記事を書く際は、武術を稽古している人のみが分かる「あるある」話ではなく、それ以外の人も分かるように、ある種の共通理解が必要な比喩表現は極力避けるようにしている。
だからこそ、私の書く文章は、どうしても冗長で回りくどくなってしまっている。
そうした読みにくさは、感覚を言語化する際に私が苦心した結果の表れだと思って、容赦して欲しい。
いち書き手としては、「ブドウの味がする」というひと言で「トテム ララ ネアグラ」の本質を表現して見せた店主の方のような鋭い言語感覚を身に着けたいと願っている。
ちなみに、モルドバは、現在EU加盟を目指しているらしく、EUに加盟すればこのワインの値段は3000円以上に上がるそうである。
話のネタにもなるので、珍しいワインに興味のある方は探して飲んで欲しい。