棟上げ

1 最近は戸建て住宅が少なくなった事もあってか、すっかり見掛けなくなったが、私が子供の頃は家が立つと(正確には、柱が立って、屋根を葺くと)、「棟上げ」が行われる光景をしばしば見た。
 「棟上げ」は、工事の無事安全を願って行われる神式の儀式らしいが、それに合わせて「餅投げ」と言って、施主が葺き上がったばかりの屋根の上から5円~100円くらいの小銭をバラまく行事も実施され、近所の子供達が先を争うようにして地面に落ちた銭に群がっていた光景を今でもよく覚えている。
 「餅投げ」は、災厄を払うと同時に福を分け与える目的で行われているらしい。ただ、地面に落ちた福を巡って、老若男女が小銭を漁る姿は子供の目にも「意地汚い」行いに見えた。

 さて、先日記事を執筆するためにYOUTUBEを見ていたら、横に次のようなタイトルのオススメ動画が表示された。

 「25万円課金800連ガチャ大爆死で1人の男が精神崩壊していく様子…」

 10分程度の内容だったので流し見をしたのだが、要するに、ソーシャルゲームに課金してガチャに散財する様を動画にしたものであった。
 もしもその動画しか見なければ、私は本稿を書くことはなかっただろう。
 以前からも、(履歴やCookie を用いた)EDGEの広告やYOUTUBEのオススメ機能については、個人情報を抜き取られているようで一種の気持ち悪さを感じていたが、今回はさすがに驚いた。

 「これガチャ引退です…800連回して人間じゃ無くなりそうになる漢の天井ガチャ」
 「本当の地獄。在庫処分セールみたいなガチャ引かされました…(600連)」

 こういうタイトルの動画が画面上に次々に表示されるのである。
 さすがにバカらしくて見る気になれなかったが、今仮に良い子の私にサンタクロースが25万円くれたとしたら、15万円を貯金し、ギとラッシュガードをワンセット、本を2万円ほど購入したら、あとは半年間普段よりワンランク上のワインを何本か購入する事に使うだろう。
 言うまでもなく、BJJに興味のない人にとってはギやラッシュガードの主観的価値は0だし、酒を飲まない人にとってはワインを買うより他の事にお金を使う事の方が遥かに満足度が高いだろう。

2 25万円をどう使うかは、個人の自由で、そこから得られる効用(満足)を最大化させる使い方は人それぞれ異なると思うが、25万とか18万強(25万の4分の3で計算している)とかいうお金を一瞬で使って見せて、それを動画にして配信している人々が大勢いるという世相は私の理解を超えている。

 以前も触れたが、ソーシャルゲームのガチャの対象はデータである。そして、そのデータはゲームがサービス終了してしまえば跡形も残らない。文字通り無に帰る。
 ただし、ガチャに25万円散財したからと言って、文字通り25万円が無駄になるわけではない。先に紹介した動画を見ると、散財に対して視聴者から投げ銭がなされていたし、数万単位の再生数があるから、YOUTUBEから一定の収入もあるのだろう。

 だから、私がこうした散財動画を見て一番強く印象に残ったのは、ガチャに25万も散財するのはバカらしいという事ではなく(手元にある25万円を最終的にどう使うかは個人の自由であり、私はガチャに25万円を使う事に価値=効用を見出せないというだけである)、そういう散財動画を見る人がいて、それがYOUTUBEの一ジャンルをなしているという事実の方だった。

 お金(正確には、「貨幣」と言うべきか)は、交換価値を表象する存在であり、お金の持つ交換価値を利用して、モノ(実物)を購入し、物欲を満たすというのが、これまでの基本的なお金の使い方だった。言い換えれば、お金は究極的にはモノを入手するための手段としての地位にあったはずである。
 亡くなった私の祖母は古き良き日本の美徳を体現したような人で、お金について「生きていくためにある程度のお金は必要なのは確かだが、お金に振り回されてはいけない」と私に貴重な訓戒を授けてくれた。
 祖母の教えは、「他人様にバカにされないためには相応の稼ぎが必要だ」「金に振り回されて金の亡者になってはいけない」という二つの訓戒から成り立っているのだが、私はどちらも正しいと思う。
 
3 25万円の散財動画を見ていると、お金を使ってモノを購入し、物欲を満たすという従来型の消費行動とは異なり、お金を使うという行為それ自体が快楽の対象になっているように思われる。
 そして、その動画を嬉々として見ている人がいるのだとすれば、それらの人々にも同じように「お金を使うという行為それ自体が快感である」というメンタリティを共有しているように思えてならない。
 
 私は太閤秀吉はあまり好きになれないが、彼が黄金の茶室を作ったのは、それによって彼の(主に財力面での)権勢を誇示するという狙いも当然あったはずである。そして、黄金の茶室を作る事は、同時代の誰にも不可能であり、唯一無二にして天下の度肝を抜いた事件だったからこそ黄金の茶室の説話は今日まで語り継がれているのだと思う。

 これと比べると、25万の散財動画は札束を地面に撒いて通行人の関心を惹く、あるいは、自己顕示欲を満たす行為(かつて、そういう事件があった)と比べても圧倒的にスケールが小さいし、そのスケールの小ささゆえに模倣者を次々と生み出す結果となって、秀吉のようなオリジナリティもない。

 新聞等で「今時の若者は草食系で物欲がない」としばしば目にするが、必ずしも全ての若者がそうだとは言えないのではないか?というのが私が今回この散財動画を見て感じた印象である。
 今時の若者の一部には、お金を使ってモノ(実物)を入手したいという意味での物欲は少ないかもしれないが、お金それ自体を散財する事に快楽を見出している人がいるのかもしれない、と。

 ただ、そうしたお金の使い方は後に何も残らないという点で、傍目にはタダの無駄遣いに過ぎない。どうせ金を撒くなら、「餅投げ」のように福を分けて欲しいものである。


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藤田 正和
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