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僕の煙霞癖について
いつだってそうだ。
僕は「ここじゃないどこか」を生きている。
幼い頃
僕は家族でご飯を食べる時
まるでハムスターが餌だけ咥えて巣に潜ってしまうように
僕は出されたご飯や御御御付をそそくさと手に取り、自分だけのスペースで1人で食事をしていた。
遊ぶ時もそう。
我が家は比較的裕福な家庭であったため
大量のフィギュアや玩具を買ってもらっていたのだが、僕は誰とも交わることはなく部屋に1人閉じこもり、その玩具を使って即興でストーリーを作ったりして楽しんでいた。
その空間は絶対的な自分だけの世界であったため、様子を覗かれたりすると酷く怒ったり、泣いてしまっていたらしい。
更に言うと、僕は夕方のテレビアニメを見るとも部屋に閉じこもって1人きりで鑑賞を楽しむ習性があった。
小さな閉鎖的な空間の中で、無限に広がるファンタジーの世界に没入することは、僕にとって何よりの幸福であり、その時間は誰にも邪魔されたくないものだった。
現在僕はAD/HDの診断は受けているがASDは付いていない。
しかし、もし僕が現代で幼児期を過ごしていたら間違いなくASDの診断も受けているだろうと確信している。
自閉という言葉もそうだが
ASDのフルネームである
『Autism Spectrum Disorder』という言葉は
まさに幼少期の僕をこれ以上ないくらいに表してくれている。
そもそもAutismとはギリシャ語で『自己』を意味する「autos」が語源であると聞く。
僕はまさに幼少期から、Autism的な自己中心性と、AD/HD的なハイパーアクティビティを有していた。
ハイパーアクティビティ。
即ちそれは簡素な和訳をすれば「多動性」である。
たしかにそうだ。
僕はこれまた幼き頃、数回ほど通った保育園の日常の中で、散歩中に美しい蝶々を見つけた途端、隣の子と繋いだ手を振りほどいてその蝶を夢中で追いかけ回した。
みんなが寝ている時には活発に活動してどこかへふらふらと出かけて
みんなが活動している時には気ままに寝ていたという。
なんとも……なんとも扱い辛い子供であろうか。
そんなこんなで小学生になっても、僕は興味のある話以外はまともに聞けず
いつも机に座り頬杖をつき、先生の話は上の空にして、水色の窓に広がる空と風向きばかりに気を取られていた。
いつもそう。
いつも僕はそうであった。
そして母は統合失調症を患っていたため、小学校は2年から4年くらいまでろくに通っていなかったし、それ以降も登校はまちまちであった。
しかし、そうは言っても勉学に困ることは特段なかったため、自分が発達障害だなんて知る由もなく、普通級で過ごし続けた。
中学の時には国語と音楽で学年トップの成績を取ったため、国語の先生から非常に気に入ってもらえて「穂高の感性は天才的だ」と言っていただけたことを今でも覚えている。
そういった背景もあり、僕は音楽の推薦で高校に入学した。
とはいうものの、高校で入った音楽の部活は恋愛禁止であったにも関わらず、度重なる恋愛騒動を何人かと巻き起こして最終的には退部になってしまった。
そうやって僕は
常に誰かからの恩恵を享受しながらも
その恩恵を悉く裏切り
そして悲しくも現実を生きられず
小学生の頃と変わらず未だに1人暮らしの狭い自室の中で頬杖をつきながら陽光のさす白いカーテンを眺めている。
阿呆のように酒を浴びながら。
僕は退屈に耐えられない。
どうしても退屈に耐えられない。
大人になった今でも常に刺激を欲しているし
毎日酒を飲みながら2万歩程路傍を彷徨っている。
外の澄んだ新鮮な空気は何よりも心地いい。
この冷涼な空気の中にデスクが出現して、酒を飲みながら黙々と作業に打ち込めればこれ以上ないくらないに幸せだろう。
こうやって僕が瞼の裏側に蒼白の月を眺めている時にどれほどの人が虚しい現実に束縛されているのだろうか。
世の中には現象のみがあり、人の世界を作るのは現象に対する解釈のみであるとするのならば
僕はどれほどに幸福であろうか。
人を退屈に追いやるのは、つまるところ井戸端会議だ。
本を読む時、音楽を聴く時、絵を眺める時
自然に触れる時、美味しいものを食べる時
僕は言葉にするのが勿体無い恍惚に包まれる。
この世界の細部には無限に広がる恍惚が散布している。
なのになぜ、どうしようもない「世間の営み」に忖度しなければならないのだろうか。
TikTokも過度なルッキズムもフォロー数も
資産も経験人数もマッチョイズムもマナー講師の作り出した偽りの礼節も
なにもかも僕には関係ない!!
僕は明日死ぬかもしれない。
死ぬかもしれないのならばこそ
命を燃やし尽くす情熱の真紅の薔薇でありたい。
僕は僕を誇る。
美しき世界を求めて旅を続ける僕を誇る。