【桃太郎】 第十二話「死闘(後編)」(最終話)
——気がついたら、暖かい布団に寝かされていたんだ。少年が一所懸命にぼくの背中をさすってくれていて。
暖かかったなあ。
桃、ありがとう……
* * *
金棒は、今度はシロの横腹目掛けて飛んで来た。
ひょいと飛び越える、シロ。
そして、青鬼の脚を素早く伝い、今度は首元にガブリと噛みついた。
たまらず悲鳴を上げる、青鬼。
青鬼は、首元の犬を掴むと、握り潰す。
犬の肋骨が折れ、その耳奥に一本、また一本と鈍い音を残す。
カハッ、
喀血する、犬。
それでも、犬は指の肉を噛み切る。
ギャア、と叫んだ青鬼は堪らず犬を振り解く。
シロは、吹き飛んで壁に激突した。
前足が折れ、さらに喀血する。
桃は、桃太郎は、ボクが守るんだ!
* * *
——桃、覚えているかな?
はじめて二人で山に狩りに出た日を。
大きな鹿を仕留めて、たくさん撫でてくれたね。
嬉しかったなあ。
桃、ありがとう……。
* * *
シロは、轟然と駆け出した。
血糊が体毛にこびりつき、前足は一本しか動かない。
それでも……
——シロよ。桃に忠義立てするのは良い。
だがな、「忠」を為さんと欲するなら、自らへの忠も同じく欲せよ。
それが、友の道よ。
——でも師匠……、ボクは一つで十分です……
真っ赤に染まった前掛けに「忠」が翻る。
桃太郎を守り抜く。
シロ、決死の突進。
金棒をかわし、鬼の懐に飛び込む。
だが……。
青鬼は、足元に突進してくる犬を、掬い上げるように、はたいた。
大きく宙を舞う、犬……。
青鬼は、金棒を振りかぶると、落ちてくる犬を打ち据えた。
砕かれる、骨という骨……。
犬は、壁に叩きつけられ、ズルリ、力なく地面に落ちた。
これは夢か現か……。
何やら、雲取山の懐かしい声がする……。
桃、ありがとう……
桃太郎は、はっと目覚めた。
そのまなこに金棒で打たれたシロが飛び込んできた。
「シロッ!」
駆け寄った桃太郎はシロを抱きかかえる。
シロは、かろうじて目を開けた。
「も、桃……」
「気を確かに!」
最期の秋を知る、シロ。
「……桃、ありがとう」
「シロッ!」
「エテ吉。たくさん喧嘩したけど……、桃のこと、頼んだよ……」
前足を懸命に動かして、エテ吉の懐を探す……。
「アホか! しょうもないこと抜かすな! 京で学問するんちゃうんかい!」
食いしばる歯に、涙と鼻水が流れ込む。
エテ吉は、鬼備団子をシロの口元に擦り込んだ。
しかし、それを嚥下する力は、もはやシロに残されていなかった。
パタ、パタッ……
ただ、尻尾で二度、地面をたたき、こと切れた……。
——シロッ!
盟友たちの絶叫が鬼ヶ島にこだまする……。
——雲取山のシロ、壮烈なる討死。享年六歳……。
* * *
仇を打つ……!
今や桃太郎の怒りは、南海の波濤を切り裂かんばかりに猛り狂っていた。
——エテ吉! 寄越せ!
そう唸った桃太郎に鬼備団子を渡した。
禁忌の二個……。
あの時、突進するシロを鞭で引き留めていれば……。
——お前が、諸事、執り行え……。
——師匠……!
許せ、シロッ!
(この時、エテ吉の腰袋から鬼備団子が一つ、飛び出しました。
コロコロ、コロリ。団子は転がります)
桃太郎の髪は、憤怒で天を衝き、
冥府へ誘う真紅の眼光は、ほむらを描いていた。
仇を打つ……! しかし……
青鬼は、金棒を桃太郎に振り下ろす。
ぐわっしゃん!
金棒が桃太郎をまともに捉えた。
砂礫があたりに飛び散り、埃が舞い上がる。
キヨは、悲鳴を上げ、エテ吉は膝をついた。
(コロコロ、コロリ。団子は転がります)
「……!」
その金棒が、僅かに動いた。
地の底から、怒声にも似た唸り声が響き渡る。
「ぬおおおおっ……!」
腰のあたりまで地面にめり込んだ桃太郎は、なんと金棒を素手で受け止めていた。
エテ吉の目が、どす黒い鬼の膝を捉えた。
——しめた! 毒が効いてる!
シュッ!
鞭をその膝に絡めると、目一杯引っ張った。
青鬼は体勢を崩し、どしんっと膝をつく。
桃太郎は、金棒を奪い取り、放り投げた。放物線を描いた金棒は、城門を粉々にぶち壊した。
そして、
桃太郎は、天高く飛んだ……
ひらり……
再び鬼ヶ島に舞い上がる、紅蓮の櫻。
「桃っ! いてこましたれっ!」
(コロコロ、コロリ。団子は、裂け目にコロリと落ちました)
「覚悟!」
刀に身体を預け、鬼のまなこに突き立てる、桃太郎。
剣先が、沈み込んでゆく……。
——ずぶっ……、ずぶっ……
青鬼のツノが灰となって消えた。
——ずぶっ……、ずぶっ……
青い身体に赤みが差す。
……青鬼は、思いだした。
あの少女……、その名を……
——セツ……!
青鬼は、瞬きする間に、幼い少年になったかと思うと、散り散りの灰となって空に溶け、そして消えた……。
(コロコロ、コロリ。団子は、真っ赤な溶岩だまりにコロリと落ちました……)
その時、地が大きく揺れた。
地底から、
ごごごごっ、ごごごごっ……、
臓腑を震わす、振動が突き上げる。
「まずい! 噴火する!」叫ぶ、桃太郎とエテ吉。
桃太郎は、回廊の二階に駆け上がるとキヨの待つ牢の格子を蹴破った。
「桃!」
「キヨ!」
桃太郎とキヨは、抱き合って互いにその暖かさを分け合った。
一方、エテ吉は、右往左往しているタマを見つけると手を引いて、隧道の入り口まで逃れる。
金助と旅助がいた。
「かあちゃん! かあちゃん!」
「あぁ!」
母子は、再会を果たした。
「旅や……旅、お前を手放したこの母を許しておくれ……」
タマは、涙で頬を濡らし、息子を力一杯に抱きしめた。旅助もまた大声で泣いている。
「……気持ちは分かるけどな。まずは逃げるのが先決や! 行くで!」
そう言って、エテ吉はタマの手を引いた……。
払い除けられる、その手……。
「私たちはここに残ります」
「はぁ?」
エテ吉は、タマの凛とした声音に、思わず聞き返した。
「この子は、片子です。大きくなれば人を喰らいましょう。ひと様にご迷惑をおかけするわけにはいきません」
そこに、金助が娘と孫の肩を抱く。
「……」
エテ吉は呆気に取られた。
「な、なに言うとんねん! こんなとこおったら……!」
——死んでまうやろ!
エテ吉は、なんとかその言葉を飲み込んだ。
旅助と目があったのだ。
彼らはそんなことは百も承知なのだ。それでも家族と最期まで一緒にいたい……。
金助の朗らかな笑顔が、すべてを物語っていた。
エテ吉は舌打ちをして唇を噛んだ。
「付き合ってられるかこのアホ垂れ! 勝手にせいや!」
そう言い捨て隧道に向かって走り出した。
エテ吉の、金助一家への精一杯の別れの挨拶であった……。
隧道を駆ける。
ふと、振り返るとあの一家の影がどこか暖かく、桃太郎たちを見送っていた。
桃太郎は、キヨを抱き上げている腕に力を込めた。
一同は転がり込むように舟に乗り込んだ。
必死に漕ぐ。
半里ほど遠ざかったところで、鼓膜をつんざくような衝撃波が舟を襲った。
振り返る。
あかあかとした溶岩流が、天高く舞い上がり、噴煙は空を覆い尽くしていた。
鬼ヶ島が破滅的な噴火に見舞われていたことを示していた。
「ねえ、桃」
キヨは、押し黙っている桃太郎にいった。
「……」
「どうしてあの鬼は……、鬼になったんだろうね……」
「……さあな」
舳先に八丈富士の噴煙が、かすかに滲んでいた。