【桃太郎】 第十一話「死闘(前編)」
——もう勘づかれた!
シロとエテ吉は、大広間に着地したばかりであった。
御殿の扉が開き、激しい衝撃波が周囲に四散する。
エテ吉は、回廊の二階に駆け上がると、雉の子供達を囲う牢の錠前を素早く開ける。
「お前ら、早う出てこい!」
「お、お兄ちゃん、誰?」
「助けに来たんや!」
雉の子どもたち二十羽は、互いに抱き合いながら震えていた。一羽、また一羽と牢から引っ張り出す。
——こりゃ難儀やな……。
どしん、どしんと鬼の足音があたりに響く。
「空から一羽ずつ舟へ運ぶんや!」
「エテ吉殿、かたじけない!」
キジ彦は子供たちを抱き寄せる……。
その様子を見て頷いたエテ吉は、大広間を窺った。
「……!」
なんと、キヨのところへ向かっているはずのシロが、鬼の前ですくんでいる。
——ちっ!
エテ吉は脱兎の如く駆け出した。
* * *
「奇襲やな」
鬼ヶ島を望む船上、見取り図を覗き込み、謀をする面々。
「まず、オレとシロを雉の二人が担いで、空から大広間へ届ける」
「それで?」
「鬼の奴は御殿に閉じこもっとるから、その隙に回廊の二階に上がってキヨたちを助ける。そんで、城門の閂を開けて外へ出る」
「俺は?」
「桃は、隧道を抜けたら御殿を目指す。道中で、うろうろしとる片子を賑やかにやっつけるんや」
「どうしてだ?」
「片子の耳目を引きつけて、キヨたちの逃げ道を作るんや」
「なるほど」
「片子は十ほどや。で、それから……」
「決まってんだろ! 鬼退治よ!」
エテ吉は、腰袋から鬼備団子を取り出すと、皆で、それを口に放り込んだ。
* * *
隧道を抜けた平場で、桃太郎は、三体の片子に出くわした。
「俺は、雲取山の桃太郎! 覚悟!」
上段に構えた刀を振り下ろす……。
——決して己の欲のために剣を振るってはならん……
師の教えである。
キヨを助けるのは欲からではない。
使命なのだ。
だから、これに仇なすものは鬼だろうとなんだろうと許しはしない……。
あっという間に片子を薙ぎ払う。
* * *
シロは膝が震えていた。
雲を突くような青鬼が近づいてくる。
一歩も動けなくなってしまった。
そう、あの日と同じ……。
あの日、シロが桃太郎に助けられた、雪深いあの日……。
雲を突くようなクマの前で、幼いシロは震えが止まらなかった。
振り下ろされる鋭い爪……。
思わず目を瞑った。
ぐわしゃっ!
鈍い音が耳にこびりつく。
——お母さん……!
山ではぐれたわが子が、クマに襲われていたのを見た母犬は、咄嗟にその身を投げ出した。
裂けた腹を抱え、シロを見やる母……。
——は、はやく、お行き……。
クマが狙いを母犬に定める。
無我夢中でシロは雪山を逃げ惑った……。
* * *
——お母さん……!
亡き母を心で叫ぶ、シロ。
振り下ろされる金棒……。
しゅんっ——
疾風のような鞭が、すんでのところでシロを巻き取り、掻っ攫う。
空振りした金棒は地面にめり込み、大広間に亀裂を走らせる。
「あほんだらあ! なにぼんやりしとんねん!」
「……エテ吉」
鞭で、ぱちん、ぱちんと地面を打ちながらエテ吉は続ける。
「ええか、謀は改めや。桃が来るまで俺たちだけでもちこたえるんや!」
エテ吉は青鬼の周りを走り、そして、隙を見て幾度も矢を放った。立ち上がったシロも続き、吠え立てる。
「あかん、矢がとおらん」
鬼の皮膚は分厚い。刀でも容易ではないのだ。
ならば……。
今度は、鞭を鬼のツノに絡ませた。
思い切り引っ張る。
嫌がる鬼がのけぞる。
ぎりっ、ぎりっ……
しなる鞭。
そして呼吸を合わせて飛び上がった。
青鬼のはるか頭上に舞う、エテ吉。
そして、くるりと一回転すると青鬼の背後をとった。
「くらえ! 雲取山のトリカブトや!」
ひゅっ——
毒矢は見事に鬼の関節、膝の裏に突き刺さった。
青鬼は金棒を振り回す。
ひらり、難なくかわすエテ吉。
「鬼さん、こっちや、こっちや」
次々と金棒を叩き込む青鬼。
エテ吉は、地面の亀裂に足を取られてしまった。
金棒が脳天に迫る。だが、十分にかわせるはず……、であった。
どん! どん! どん!
その時、城門を叩く音が響いた。
——しまった、閂がかかったままや……
そう思った刹那、金棒がエテ吉を襲う。
一瞬だけ遅れた。
うっ!
エテ吉の右目が潰れた。
咄嗟に鞭を屋根に絡ませ、そこへ逃れる。
「閂や!」
すでにシロは城門の閂に取り縋っていた。
閂が上がらない……。
今や、大広間の至る所に亀裂が入っていた。地盤が歪んだ分、城門もまた建て付けが歪んでしまっていた。
閂は上がらない……。
青鬼は閂に取り縋る犬を見下ろしていた。
追い詰められる、シロ。
金棒は、振り上げられた……。
——その時、
ひらり、
城門に紅蓮の櫻が舞い上がる……。
シュッ! シュッ! シュッ! シュッ…。
ブシャ! ブシャ! ブシャ! ブシャ!……。
閃光が、縦に横にと、悪鬼を斬り刻む!
全身から鮮血を吹き出し膝を屈する、青鬼。
……桃太郎、参上!
「大丈夫か? シロ」
「桃!」
わが子を運ぶ傍ら、雉の二人が、桃太郎を城門に届けたのだ。
桃太郎は、眼前で跪く、鬼の額に剣先を向けた。
「悪鬼! 覚悟!」
* * *
キヨは、大きな音に驚いて窓に縋り付く。
大広間を見やると、エテ吉とシロが青鬼と戦っている。
——桃!
諦めていたこの一月。
闇に埋もれていた光が、沸々と胸に湧き上がる。
何かできることは……。
耳が衣擦れの音を捉えた。格子に駆け寄る。
「おタマさん、助けが来たのよ!」
格子越しに叫ぶキヨ。
だが、タマは青白い顔を横に振る。
「鬼には誰も敵わない。喰われてお終いよ」
「そんなことない。桃は、弁慶さんに鍛えられたんだから」
「弁慶、誰?」
その時、地を揺るがすような怒号が鬼ヶ島を震わせた。
* * *
「こいつ、やっぱ、化け物だな……」
青鬼は、血塗れの筋肉を隆起させ、みるみる大きくなっていった。
あっという間に城門ほどの大きさになった。
青鬼の怒号が、天を衝く……。
青鬼は先刻とは異次元の力を桃太郎に叩きつけていた。
金棒は唸りをあげ、地に咆哮が轟く。
足元を取られる、桃太郎。
すかさずその横腹を薙ぎ払う、金棒。
肋骨が折れ、喀血する、紅蓮の櫻。
さらに、上段から、金棒がひっきりなしに桃太郎の頭上に殺到する。
辛うじて刀を振るう桃太郎。
ガチンッ、ガチンッ、バチンッ……
四方に散る、火花……
これが、四半刻も続いた。
抗しきれなくなった桃太郎に、金棒が襲いかかる。
割れる額……、桃太郎は気を失った。
桃太郎を介抱するエテ吉は、
——毒も効かんか……
潮時を悟った。
その時……。
桃太郎を守る……。
突如、シロは、猛然と鬼に駆け出した。
「あかん! シロッ! 一旦引けっ!」エテ吉の絶叫は、もはやシロの耳に届いていなかった……。
桃は、ボクが守る。
* * *
——あの日、桃と出会った日……。
雪の日だったなぁ。
母さんを亡くして、ボクは山を彷徨っていたんだ。
何刻も歩いて、そのうち、だんだん眠たくなって……
* * *
シロは、金棒を掻い潜り、青鬼の脚を素早く登ると、その腕にしたたかに噛みついた。
青鬼は、短く悲鳴を上げ、たまらず金棒を落とす。
青鬼は、縋り付いている犬を大きな手で振り払った。
その鋭い爪が、犬の背中を抉る。
鮮血があたりを濡らす。
壁際まで吹き飛んだシロは、すぐに立ち上がると、また、猛然と駆け出した。
桃は、ボクが守る……。