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「育業」という言葉に感じた違和感。「休」という字がミソなのでは?
育児休業の通称として「育休」ではなく、「育業」と呼ぶ場合があるようだ。「育業」は育休取得率向上のために東京都が公募して選ばれた通称だそうだ。
初めてこの言葉を聞いたとき、私はなんだか違和感を覚えた。え?育休の何がダメなの?と。
育業が選定された背景は以下だ。
育業とは育児休業の愛称で、育児休業につきまとう「休む」イメージを刷新し、子育ては「尊い仕事」との認識や社会全体で応援する気運を高める必要性から決定されました。
育業にはほかにも、子育てには夫婦・周囲の人間・職場の理解・チームワークが重要との意味も込められています。
育児休業が、育児のために仕事を休むものから、育児という大事な仕事に取り組むものへ発想の転換が進めば、望む人が誰でも育児休業を実現できる社会になると期待されています。
子育ては尊い仕事で、社会全体で応援する。
うん、ここは完全同意だ。何も異論はない。
この考えがもっと浸透すれば、育休を取りやすい社会につながるだろう。
育児休業が育児のために仕事を休むものから、育児という大事な仕事に取り組むものへ発想の転換…
そう、ここだ。私が感じた違和感はここだ。
育児という大事な仕事に取り組むために、一旦会社の仕事をお休みする。これが一番大事じゃないか。転換する必要なんてない。本当に必要なのは、「休む」がネガティブに捉えられる風潮をぶっ壊すことだ。
育児は子どもの誕生から巣立ちまで20年ほど続く。中でも、スタートの1年は物理的にも精神的にもかなりハードなので、仕事に割くリソースを減らして育児に充てよう。そういう話じゃないか。だって1日は24時間で、脳は1つで、手は2本。人のキャパは増えないんだから。
「休む」というと、まったり休養しているような印象があってよろしくないというなら、「離れる」みたいな言葉にすればいいのではないだろうか?
つまり、私が言いたいのはこうだ。
尊くて大事な仕事である育児のために、会社の仕事をしない期間を設ける。
これを強調する必要がある、ということだ。
だから「休」など会社の仕事をしないという意味をもつ字は通称の中に含めて然るべきだと思うのだ。
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あくまで素人考えだが、育休取得率が伸びない原因は2つあると思っている。
①育児の大変さ、重要度が認知されていない
②会社の状況、風土的に取得できない
①は分かっていても、育休を取得できない人が多いのではないだろうか?そして、①は個人の認識の問題なので比較的変えやすいが、②はそう簡単に変えられない。育休取得率が伸びない最大の原因は、プライベートの事情に応じて仕事やキャリアを調整できない企業や社会の構造だと思う。
一度就職したら、定年するまで常にフルパワーで仕事をするのが当たり前。一度仕事量をセーブしたり休職すると、キャリアが寸断されたり肩身の狭い思いをする。そういう構造の企業が多いから、育休取得率の伸び悩みやマミートラックなどの問題が発生するのであろう。
それに、問題なのは育休だけではない。
家族の介護や自分の体調不良を理由に、一時的に休職したり働き方を見直したいケースだってあるだろう。あるいは、ワーキングホリデーや留学で会社では得られない経験をしたい人だっているだろう。こういったケースでも気兼ねなく仕事を調整できるのが然るべきだ。
育児が大事な仕事だという認識を広げるのはもちろん大事だ。それはそれで継続して進める必要がある。それと同等に、育児に限らずプライベートの事情に応じて柔軟に働き方を調整するという文化を社会全体に根付かせることが重要だと思う。
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…なんだか「育業」批判みたいな記事になってしまったが、批判する気持ちはない。この言葉を推す背景には賛同しているし、「育業」という言葉を使っている団体や個人を批判する気持ちは全くない。育児は大事な仕事というメッセージを伝えるには、この言葉は適していると思う。それに、この言葉をきっかけに育休について改めて考えた人も多いだろう。少なくとも私はそうだ。
ただ、個人的に「休」がミソなんじゃないの〜?…とボヤいてるだけなのだ。
育休ひいては育児について、みんなが熟考し納得のいく選択をできる社会になりますように。