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北九州市観光案内ボランティアです。 地球の歩き方北九州市版でも記載されているように博多に匹敵するほどの美味しくて手頃な食が大変多く、その北九州市の観光などを気ままにUPしていきたいと思いますので宜しくお願いいたします。 スマホで調べても分からない面白い話もあるかも?乞うご期待!

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北九州市:門司港の魅力(1)

「日本遺産関門ノスタルジック海峡」のその歴史を物語る代表的な建築物、それが門司港駅(旧門司駅)。駅舎としては初めて国指定重要文化財になった駅舎です。 今往時を偲ぶ姿を残し、国内外の観光客に魅力を呈しています。 大正年間には日本一の国際港となり、世界に門司ポートの名を知らしめました。日本に招かれたアインシュタインご夫妻もこの地に魅せられといいます。この門司港開発にはあの渋澤栄一も出資しています。大正から昭和初期に建てられた数多くの建物を巡るまち歩きもまた楽しいひとときですね。

    • 小倉を歩いてみる

      北九州市は「地球の歩き方」で、初めて、都市単独の発行になり、しかも400ページに及び僅か2ヶ月で7万部を超える大人気となりました。恐るべし北九州の知られざる観光都市!  そこで中心駅小倉から城下町を小倉城まで歩いてみました。 小倉駅南口(小倉城口)、駅ビルからモノレールが出発進行! 夜見るとまるでスリーナインが宇宙の旅へ、、、 ペデストリアンデッキを銀天街側に降りて、いつでも行列ができるあの有名な「シロヤ」、郷ひろみも絶賛したという揚子江の「豚まん」を過ぎて吉野家の角を右へ

      • 小倉発祥「小倉焼うどん」

        文化庁は我が国の多様な食文化を継承、振興を醸成するために、地域で受け継がれている食文化を、100年続く食文化として継承することを目指す100年フードとして認定しました。  北九州市では二つ、糠の食文化、江戸時代から伝わる郷土料理の「糠炊き」と未来部門で認定された「小倉焼うどん」  前回は焼かないうどんで資さんうどんと豊前裏打ち会、小倉肉うどんの三大うどんをご紹介しましたが、今回は焼いたうどん「小倉焼きうどん」をご紹介します。  その元祖は「だるま堂」です。 戦後間もない頃焼き

        • 門司港駅物語

          近代の門司について  江戸期から明治初期にかけて門司は塩田が広がる寒村でした。参勤交代で本州に渡るには小倉小笠原は水軍に守られて関西方面へ、福岡黒田は黒崎からその他の藩は大里から赤間が関へ渡っていたのです。現在では、関門橋、海底トンネル(車道と人道)、関門連絡船、JR在来線、JR新幹線と7ルートがあります。  明治22年に資本金25万円で門司築港会社が設立(渋沢栄一も出資相談役)され、同年には米、麦、小麦粉、石炭、硫黄の特別輸出港となり、その後明治32年に門司港が正式に開港、

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        北九州市:門司港の魅力(1)

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          食の街北九州の三大うどん

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          気負わず頑張って

          気負わず頑張って

          壇ノ浦の合戦ゆかりの社

          源平最後の合戦「壇ノ浦の合戦」で平家は和布刈神社で、源氏は甲宗八幡でそれぞれ戦勝を祈りました。  甲宗八幡宮では、1185年(文治元年)平家を滅ぼし源範頼(蒲殿)、義経兄弟が参拝、重藤弓・鏑矢を献上し平家追討の祈願成就で社殿を修造しました。  第56代清和天皇の貞観元年(859年)、大和国(奈良県)大安寺の僧侶であった行教(ぎょうきょう)が、九州で最も霊験あらたかな豊前国の宇佐八幡宮(宇佐神宮)に参拝しました。宇佐八幡宮は大陸文化の影響を受け、新しい文化圏をもつ神で、地方神と

          壇ノ浦の合戦ゆかりの社

          小倉は「焼き肉王国」

          北九州市小倉北区には数多くの焼肉店があります。 かつて小倉には炭鉱があり、そこで働く労働者たちは労働後に焼肉を食べて英気を養っていたと言われ、どんどん焼肉店が増えていったのです。現在「焼肉通り」と言われる通りがあり、ホルモンの「丸腸」は実は北九州が発祥なのです。最初はまかない料理としてでした。  小倉の市街地からすぐ近くには国産牛の食肉センターがあり、新鮮さが命のホルモン焼きがこの小倉で味わえるのです。 小倉焼肉通りのパンフレットと北九州市の無料雑誌、雲の上で特集されています

          小倉は「焼き肉王国」

          門司港の魅力その2

          #一度は行きたいあの場所 日本遺産「関門ノスタルジック海峡」〜時の停車場、近代化の記憶〜 今日は当時モボ、モガ達で賑わった旧大連航路上屋を訪ねます。  ここは日本と中国を結び、更には世界各国とを結ぶ国際航路の発着所として1929年(昭和4年)に竣工。主に大連便が多く第二次世界大戦終戦後機雷掃海で航路が使えなくなるまで、日本の重要な玄関口として位置付けられていたのです。今の第七管区保安本部と門司税関があるビルの前には、貨物用線路が残っています。  国会議事堂や横浜税関を担当し

          門司港の魅力その2

          当時の1等駅「門司」

          明治~大正~昭和と見続けてきた現在の「門司港駅」(旧門司駅) 明治22年、あの渋沢栄一が出資して整備された門司港。特別輸出港となりその発展ぶりは今に残る数々の建物が物語っています。その代表が大正3年に建てられ今に残る門司港駅です。当時九州に長崎、若松とここ門司と3つあった1等駅にもかかわらず木造で作られた理由があります(なぜか?)。当時は1等、2等、3等と列車に区別され、正面から見て左側(みどりの窓口と観光案内所がある部屋)が1,2等待合室があった場所で電信室、洗面所、切符売

          当時の1等駅「門司」

          門司港駅ってこんなに歴史があったんだ 大正3年に建てられた日本で最初の、駅舎として重要文化財に指定されました。 表から見て、どの駅でも見られるはずの駅名板がありません。 門司駅は当時として1等駅で、九州では、長崎、若松の3駅だったのです。明治~大正~昭和とその移り変わりを見た駅

          門司港駅ってこんなに歴史があったんだ 大正3年に建てられた日本で最初の、駅舎として重要文化財に指定されました。 表から見て、どの駅でも見られるはずの駅名板がありません。 門司駅は当時として1等駅で、九州では、長崎、若松の3駅だったのです。明治~大正~昭和とその移り変わりを見た駅

          今ある日本の原点を探る

          明治日本の産業革命遺産(3) 前回は外国の技術を真似て、反射炉を造ったり、日本人だけの初の挑戦で橋野鉄鉱山を操業などいろいろ動き出したというところまででしたが、これからはその西洋技術を取り入れる時代に入ります。  長崎では洋式工場の長崎鎔鉄所が完成(現在の三菱長崎造船所)、1863年には井上門多、伊藤俊介、井上弥吉、遠藤謹助、山尾庸三の長州ファイブが英国へ留学。1865年には佐賀藩が蒸気船「凌風丸」を、その後グラバーと佐賀藩による合弁高島炭鉱を操業、五代友厚、小松帯刀とグラ

          今ある日本の原点を探る

          今ある日本の原点を探る

          明治日本の産業革命遺産(2)  前回では日本が僅か半世紀で産業革命を成し遂げたのは、自前で鉄作りに成功したからだと述べました。今回からその鉄作りについて歴史を振り返ってみます。  古くは蹈鞴製鉄という方法で刀などを作っていました。今でも島根県などで包丁やカミソリといったものが作られています。  近代製鉄へのきっかけとなったのが、1840〜1842年にアヘン戦争がありました。 あの小さな島国である英国が大きな清国をいとも簡単に制圧したことに、幕府もですが一番危機感を抱いたのが九

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