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自分の文章に飽きる
最近、私は自分の文章に飽きている。
もう少し、面白い記事を書けないものか?
そう思いながらチャレンジ精神に欠けている。
はぁ、願うばかりで実行しなければ、変わらないのにね。
それにしても、面白い記事って、どういう記事なんだろう?
皆さんに喜んでもらえる記事?自分が満足感を味わえる記事?
きっと、私は両方を追求しようとしているに違いない。
それは欲張りだよなぁ。
一つだって実現するのは大変なのに。
二つも。。。私はかなりの欲張りのようである。
自分の文章に飽きるってことは、もしかすると、私は私の人生そのものに飽きているのかもしれないとふと感じた。
毎日、毎日、同じことを繰り返しながら、やらなきゃいけないことに追われながら、やりたいことをやりきれず、時間を作る工夫もままならないまま、体力も気力も衰えた状態で、やっとこさ一日を終える。
ちなみに、老犬達が毎夜、夜鳴きと徘徊を繰り返しているので、私の生活はすっかり昼夜逆転状態であるのだが、昼夜逆転になって気付いたことがある。
体は順応するということだ。(当たり前か。笑)
昼夜逆転に慣れたら、寝ることは困難ではなくなった。
睡眠の質もそれほど悪くはない。
悪いのは、昼夜逆転の暮らしを否定的に捉えている自分がいたことだ。
夜中になればなるほど、寝なければ、寝なければ、と初めの頃は思っていた。
寝なければと思えば思うほど眠れなくなっていたものだ。
ある日から、開き直ってしまった。
そう、人生には開き直りも必要なのかもしれない。
私の場合は、開き直るって意識してできるものでもなくて、気付けば開き直っていたといった状態なのではないかと思う。
なんだか相変わらずとりとめのない内容になってしまったな。
またタイトルと脱線しているよな、なんでこうなってしまうんだろうな。(苦笑)
無理矢理、戻すとしよう。
そう、私は自分の文章に飽きているのだ。
あっ、睡眠と同じように考えればいいのかな?
自分の文章に飽きている状態に、自分の文章そのものに、開き直ってしまえばいいのか。
そんなに難しく考えることではなかったか。
相変わらずだな、難しく考えれば考えるほどよくわからなくなってくる。
よくわからない状態がまるで大好きなようだな私は。(笑)
さて、着地点がよくわからないままではあるが。。。
さて、今日も生きる(寝る)としよう
愛とはなんぞや
生きるとはなんぞや
幸せとはなんぞや
感じ続けることか?
私は感じているのだろうか?
感じているよ
感じているからこそ
こうして記事を書いているのだ