とうとう、昼も夜も関係なくなった。。。
老犬達は、つい最近まで夜鳴きと夜の徘徊が、認知症のメインの症状だった。
しかし、とうとう、彼らには昼も夜もなくなったらしい。
15歳の子はおとなしく寝ていたかと思えば、突然、甲高い声で鳴き出す。
そして、自力でほとんど起き上がれない体をばたつかせている。(ちなみに目はまったく見えない)
抱き上げてもすぐへたり込む。
へたり込んだ後、また甲高い声で鳴き続ける。
14歳の子は凶暴性がある。
認知症発症する前はそんな子ではなかったが、15歳の子に対して、常に牙を剥いて唸っている。
時には馬乗りになって顔にかぶついたりしている。
目がだいぶ見えなくなっているので、人間や、下手したらぬいぐるみにまで、15歳のワンコだと思って、牙を剥いて唸ったりしている。
どうなってしまったんだろう?この子達は。
そんな思いが時々よぎる。
認知症だとわかっている、しかし私の知っている子達ではなくなっている。
今まで老犬介護をしたことがないわけではない。
私は物心ついた時からワンコと共にあるので、成犬は既に5匹看取っている。(逃走したり事故死した子を入れればもっと。。。)
だが、今飼っている柴犬ほど、認知症の症状がひどく表れた子達はいなかった。
私の考えが甘かったのだ、認識不足だったのだ。
柴犬と言えば認知症と言われるほどの特徴的老いがあるとは、まったく知らずに、家庭の事情で飼えなくなった方から2匹を譲り受けたのは、彼らが9歳と10歳の時だった。
初めは9歳の子を受け入れた。
9歳の子と一緒に飼われていた10歳の子は、一足先に別の人に譲られていたのだが、飼育環境が悪すぎて元の飼い主が戻してしまった。
そこで私に、10歳の子も引き受けてもらえないかとの依頼が来たのが、2匹との出会いの馴れ初めだ。
相次いで愛犬を亡くした私の寂しさを、この子達は埋めてくれた。
亡くした愛犬達のことを思って泣いている暇がないぐらい、元気な子達だった。
しかし、犬の時間は早い。
気付けば、足がもつれるようになり、目が見えなくなり、下痢をしやすくなり、彼らの老いを認めたくなかった私が受け入れた頃には認知症が進行していた。
よろよろした体で、部屋の隅にどこまでも突き進んでしまう。
首が座らなくなっているのにだ。
行き止まって、首を下げたまま身動きできなくなっていたりする。
今は部屋のあちこちにガード的な物を備えている。
それでも、予期せぬ出来事が起こる。
毎日、気が気でならない。
それでも、この子達との一緒の時間が、私の大切なかけがえのない時間なのだ。
懸命に生きる姿は、意思ではなく本能からであったとしても、ひたすらに尊い。
尊いということを教えてくれた小さな命には、感謝しかない。
私は、いつまでもこの子達と共に生きるだろう。
さて、今日も生きるとしよう