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「コメントに困るなぁ」とよく言われた私です(^^;)

皆さん、こんにちは。
相変わらず、こんな訳わからんちんなタイトルの記事ですが、ご勘弁のほどを!!

私はSNSなどの文章だけじゃなくて、普段から親しい人と話す時は理屈っぽい。
そして、人があまり気にも留めないようなことを、いつまでもブツブツ言ってたりする。
本人的には特別な会話ではなく、いたって普通の自然体なノリなんだけど、慣れない人からしたら、きっと、理屈っぽい、面倒くさい人だと思われることだろう。

だから、若い頃から、「コメントに困るなぁ」などとよく言われたものだ。
それでも、リアルの会話だったら、私だってそれなりに気を使ってきた。
なるべく、コメントしやすい、無難な会話に努めたりしたものだ。
しかし、SNSなどの文章メインの世界となると、自由に会話をしたい欲望にかられる。

とはいえ、最近は人にどう思われるかを気にして書けなくなってきた。
それについては、先日の記事で書いたが、私がブログをやり出した10年以上前と、今は状況が違うからではないかと思った。
当時はSNSが今ほど盛んではなかったし、ブログ人口も今ほど多くはなかった。
なので、内容(テーマ)を絞れば、余計に狭い人達の中だけで会話をすることができた。
そんな状況だったので、私は、割と自由に発言ができていた。

それに比べて、現代は、多くの人がSNSに参加し、スマホもパソコンも使いこなし、個々のセンスで皆さん、記事を投稿するようになった。
そんなわけで、自分のしがない記事でも、多くの人の目に触れる機会を日常的に得てしまったのである。
私としては、読んで頂ける楽しみと、読まれてしまう怖さとの間で、少々、委縮をするようになってしまった感じである。

それでもきっと私の文章は、少数派だと感じている。
直情的であったり、タブー的テーマに意見を言ってしまったり、物事を深く追求しすぎて逆によくわからないことを書いてしまったり、おそらく、読むだけでも大変で、コメントとなると気楽に物言いできなくなりそうなことを書いてしまっているという自覚がある。

もっとわかりやすくて、明るくて楽しいテーマで話すことをメインにと思う自分と、読まれにくい、コメントも頂きにくい、そんな記事をあえて書きたいと思う自分とが、せめぎ合っている。
振れ幅としては、若干、後者寄りな感じが自分ではしている。
まあ、どっちがいいとか悪いとかいう話ではなくて、自分自身の表現の欲求がどっちにあるかということではないかと思う。

表現の自由、なんでも言っていいわけでもないと思う。
意見を言うことは素敵なことだけど、配慮が要らないというわけでもないと思う。
ここのさじ加減、価値観については、あまりにも個人的要素が高まるので、ここの論議は難しいのだが、私の意見としては、これはあくまでも私の意見ですということを前提に書くことで、少しでも角の取れた文章として、読者の方にお届けできるのではないかと思っている次第である。


マイケル・ジャクソン、カッコ良すぎて、今頃、めちゃくちゃハマっている💗
私は昔、m.c.A・Tが大好きだったんだけど、どこか共通要素があると感じたのは私だけだろうか?


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