
樽洗い白菜漬けるかじかむ手
冒頭は、前回10月のしりとり俳句3番目の終り〈たる〉から。
今日はぐーんと冷え込みましたね。雨や曇りでどんよりとした如何にも11月って感じの天気。
そうなると思い出すのが、子供の頃の漬物を仕込むシーン。こんな空模様の、雨ではなくて雪のちらつく11月の初頭(本日はもう11月も下旬ですが……)の毎年繰り返す季節仕事でありました。
今時は、軒に干した白菜や大根を大樽に漬け込んで冬支度する家がどれほどあるんでしょう。そんな風景、昭和の昔話に成り果てたような気がしますね。農家でもやるところは少なくなったんじゃないかな。
学生のときに、中国留学から帰った先輩が「冬は毎日毎日、白菜(パイツァイ)、白菜で参った」と言っていたけれど、日本も私が幼いの頃は、冬には白菜漬けかたくあんが食卓に必ずのっていたものだった。漬物は、冬の貴重なビタミン補給の元であった。
当時もハウス野菜はあったが、お高くて、庶民の日常の食べ物としては贅沢に感じていた。ただし、地方では家庭菜園している家が多かったから、農家ではなくても、冬の前に自家製野菜の漬物を仕込んでおく家庭が普通だった。
ゆえに、あの辺りの時代は、まだ、日本でも中国でも、地方なら冬支度に白菜や大根を大量に軒に干したり積んだりしている家が結構あった。今は地方でもあんまり見かけなくなったけれど。
みな忙しくて暇がないのもあるし、温暖化では衛生上、自家製の漬物はヤバいことになりやすい……。苦労して頑張って自家製を作っても、コスパ的にもタイパ的にも見合うかどうか。食べたいときに必要な分だけ買って来た方がずっと〈パ〉が良い。現代の住宅事情では、大きな漬物樽を置いておけるスペースがある家も、都会でなくても少ないだろう。
加えて、昨今の消費者の多くは、大量に砂糖や化学調味料の入った既製の味に慣らされていて、自家製の少砂糖、低化学調味料の漬物はまずく感じるんだろう。だから余計に自家製を作るなんてしない。
コロナ前までは、地方の道の駅的なお店に地元の人が漬けた漬物やお惣菜、餅菓子なんかが売っていたけれど、作り手の高齢化で随分と減少してる。漬物に限らず、〈シン(真)手作り〉はなくなる運命なのかもしれない。工場製の〈手作り風〉はあっても。
《余談》
白菜と言えば、今日の昼に白菜を食べた。
千切り風に切って、レンチン。なめ茸とかつお節で和えた。なめ茸、マジ、万能和え物ツール。それにちょっとごま油を垂らした。
ワタクシ、揚げ物などオイリーなものが胃弱なため得てじゃなくて、あまり食べないので、そういうところでちょっとずつ油分を補給している。じゃないと干からびちゃうから。だって、梅しお、元女の子(つまりBBA)なんだもん。