2024年アニメ映画評41・「インサイドヘッド2」
2015年公開「インサイドヘッド」の続篇。結構良く、子供向けの中では「アンパンマン」や「モアナ」と並び、今年の御三家と言えるか。7点。なお、コナンは大人向けでカウントしてます。
「インサイドヘッド」は感情を擬人化し、彼らが巻き起こす脳内ドラマを描いた作品で、類似作に「脳内ポイズンベリー」がある。後者の方が古いが、参考にしたかは微妙なところ。「脳内ポイズンベリー」の場合は主人公のドラマに感情が追随するが、「インサイドヘッド」は感情の方が主であるように描かれる。人間の生理現象を擬人化した点は「はたらく細胞」にも似るものの、こちらは人体に関する分子生物学的蘊蓄が織り込まれ、人体の持ち主と細胞との関わりがほぼ描かれない。「インサイドヘッド」の直接の発想源は、心の中の天使と悪魔というカートゥーン表現か、頭の中に人体を操る小人がいるという意識のホムンクルス・モデルだろう。
アイスホッケー強豪校への進学を望むライリーは親友二人が別の学校に進むと知ってショックを受ける。ホッケーの強化合宿に参加したライリーら三人だが、ライリーは進学先での人間関係を考え、高校生達と仲良くなろうと必死になってしまい、親友との間に溝が開く。その頃、脳内では、ヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、ビビリ、イカリのもとに、シンパイ、ハズカシ、ダリィ、イイナという新メンバーがやって来る。今までとは別種の感情達と対立したヨロコビ達は感情の司令室から追い出されてしまう。司令室のリーダーとなったシンパイはライリーを幸せしようとするも失敗。戻ってきたヨロコビが過去を否定したとしても、自分らしく生きるよう導いたことで、ライリーは立ち直り、親友とも仲直りした。
ピクサーだけあって、映像は満足のいくクオリティで、特に信念の泉や自分らしさの花の描写はキレイでいい。アクションも優れている。ただ、計算しつくした合理性ゆえに、ギョッとするシーンは乏しかった印象。ホッケーの箇所も良いには良いが、日本アニメのエフェクトマシマシ演出を観ていると少し物足りなく感じる。まあ、日本よりピクサーの方がリアルだが。
三日間という短いスパンに思春期の様々な変化を詰め込み、上手く消化した点は評価に値するし、感情に要不要はなく、それらの混交がアイデンティティを確立するというテーマも良い。結局、無理して作った自己は長続きしないから、自然に振舞える自分を受け入れてくれる関係を構築すべきというのがテーマ。ダイエットのアドバイスにも通じるものがある。にしても、昨今のピクサーはアイデンティティ問題ばかりやっている気がする。
本作の、自然に育つ自分らしさを大切にという結論は美しいが、それはライリー自身や彼女の家族が割と常識的だから、そう言えるのであって、人を傷つけることに愉悦を覚える個性の場合、それも自分らしいとして評価すべきなのかは謎である。ジャイアンとかね。また、マイナス面もひっくるめて自己を愛そうというのは普通、自分だけでは至れない結論だから、脳内ドラマでそこに行き着くのは少し不思議。まるでヨロコビらが別人格のようだ。
感情同士の関連が前作より乏しいのは少し不満。前作の妙味はヨロコビとカナシミが同じ髪色、目の色をしていることで相関性を意識させ、最後にそれを示した巧みさにあった。つまり、歓喜と悲哀は繋がっているのだ。これを敷衍すれば感情は全て繋がっているということになるが、シンパイとヨロコビの間に係累は見出せなかった。無論、このシンパイは悲哀に近いと同時に期待も孕んでいて歓喜の呼水だが、それは物語上で提示されない。
また、続投の感情達が個性的になりすぎで、個々の性質から離れ気味なのも気になった。例えば、ヨロコビには苛立ちが生まれ、カナシミはポジティブになり、ムカムカは好意を抱いている。でもまあ、ライリーの感情を制御する役割としての名であって個体の性質とは関係ないのかもしれない。感情達が個性的なのは、個体毎に感情の出し方が異なることを受けているのだろう。それはそれとして、ヨロコビがライリーを追い詰めすぎていたと反省するのは少し変な気もする。それは、冷静とか、他の感情の機能なのでは?
あと、先述の通り、ムカムカには好感もあるのだが、そうなると、類似の感情を敢えて分離しているキャラとそうでないキャラの差は謎だ。ビビリとシンパイを分けるならムカムカと好意も分けていいだろうし、そもそも好意はヨロコビの領分では?
思春期を扱うなら、キョエイとか、ハツジョウとかが出てこないのは少し変な気もするけどね。嫉妬=イイナもちょっと軽くて肩透かしだ。とはいえ、あんまりドロドロした感情は出せないか。キッズ映画だし。
ちなみにヨロコビの声優は諸事情があって竹内結子から変更になったが、小清水亜美は前の人によく似ていた。最初は気付かなかったし。