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2024年アニメ映画評53・「モアナと伝説の海2」

 12月最初の映画はディズニーの新作で、2016年「モアナと伝説の海」の続篇。ディズニーは二作目があまり上手くいかないことが多く、「アナと雪の女王」も「シュガー・ラッシュ」も、それこそ「アラジン」だって一作目の方が面白い。本作も御多分に漏れず、1の方が良い。映像は抜群なのだが、話は何ともかんともって感じで、6点か7点くらい。
 前作から三年が経ち、自分の島以外に人が住む島を探すモアナは、かつて悪神ナロが島々、人々を分断したと知り、それを解除すべく、仲間と共に伝説の島・モトゥフェトゥを探しに行く。旅の途中、ココナッツのような外見のカカモラ族に捕まるが、ナロによって故郷へ帰れなくなった彼らもモトゥフェトゥを探しており、モアナに協力することとなる。その直後、モアナ一行はナロの眷属・マタンギが支配する二枚貝に飲み込まれてしまう。貝の体内では英雄・マウイが捕まっており、彼を助けたモアナ達は、ナロの部下ながらナロを快く思っていないマタンギの導きで外界へ脱出する。ナロの支配領域へ向かう途中、ナロに攻撃されて筏は半壊、モアナらは漂流する。何とか島へ流れ着いたものの、モアナは自信を失う。マウイに励まされた彼女は、ナロが人間を憎んでいると思い出し、自身を囮に、マウイが海に沈んだモトゥフェトゥを釣り上げる作戦を立案、釣ることに成功するが、モアナはナロの攻撃で死んでしまう。マウイはモアナ祖母の力を借りて、彼女を救命する。ナロの呪いが消えたことで他の島との交流が復活する。
 海の表現は相変わらず巧みで、光と色彩の美麗さや液体であるがゆえの自由な動きは心地よい。海の自由さと自由を求めるモアナが重ねられているのだろう。キャラクターの濡れた表現も非常に生っぽい。劇中曲はマタンギの「Get Lost」が一番良かったが、音楽映像は最初の島めぐりソングを除くと、ファンタスティックな楽しみが薄かったのが、物足りない。
 本作は、モアナを島探しの船長とすることでリーダーとしての成長を描こうとしている。後々、村長になるわけだから、そういう意味でも必要な試練なのだろう。前作におけるモアナの成長は、大部分、技術に関連し、メンタルにはあまり変化がなかった。しきたりから自由になりたいと勇気を出す箇所が人格的成長ではあるが、それはかなり序盤に達成され、その後でモアナが変化することは殆どないのだ。対して、本作では精神的な落ち込みから立ち直ることで、一回り大きくなる様が描写される。これは仲間を危険に晒してしまったことへの反省から来るもので、そうして沈んだ彼女を立ち直らせる役割はマウイに与えられている。これは前作からの反転で、刺青を使ってパフォーマンスしたマウイの歌も、虚栄と弁明を扱うものから、モアナへの励ましに変わっている。
 ただまあ、この成長の部分はちょっと微妙で、結局、その後のモアナに変化があるわけではなく、どちらかというと元の自分を取り戻した、と言う感じになっている。マウイの歌もそういうテンションで、彼女の前作の事績を刺青で物語ることで、勇気づけている。マウイの刺青は神に認められた偉業のシンボルだからだ。また、マタンギの迷えというアドバイスもあまり成長と絡んでおらず、暗闇を飛び回る印象的なシーンはアニメーション的楽しみを齎すに終わった印象。端的にいうと、モアナは1の段階で、歳不相応に成熟し過ぎており、アナやエルサと違って、伸び代に乏しいのである。三人共、統治者の娘なのに、えらい違いだ。
 リーダーとしての成長があまり感じられなかったもう一つの理由は、パーティーメンバーがあまり役に立っていない感じが強いからでもある。最も役目を全うしたのはロトで、彼女には一から十まで活躍の場があった(なにせ大工なので)が、その他のメンツはカカモラも含め、あまり目立った個所がない。また、モニーとケレについては弱点が描かれていたものの、それが解消される場面がなく、なんだったんだ、アレは、となった(一応、ほんのりと克服に関する箇所はある)。こうしたメンバーを率いていたために、モアナが自分でやった方がいい展開ばかちで、リーダーシップはあまり光っていなかった。オチも彼女とマウイのバディ感を強調して終わっていたし。
 前回の神は常に海底にいたが、今回の神々は天空から来る柱ばかりで、マウイも飛んでいるシーンが多い。つまりは空=神性であり、ラストなど空中から島を釣っており、マウイの神的側面が強調されていると言える。その一方、マウイは海底とも縁深く描かれ、前作だと持物の釣り針は海底にあり、今作では海底に捕まったところから話が始まる。海は、モアナのシンボルであると同時に、本作だと人々を繋ぐ航路であるから人間のメタファーと取れる。マウイは人と神を行ったり来たりしているわけで、彼のデミゴッドの側面が空海の往来によって表現される。また、空と海ではそれぞれ違ったマウイの魅力が描かれる。海では人間らしい失態が、空では神らしい雄々しさ、卓抜さが表現されているのだ。
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