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2024年アニメ映画評54・「ライオンキング:ムファサ」
超実写版という謎の煽り文句が付けられた、フルCG作品。こちらもディズニー・ブランドだが、なぜ12月に二作も公開したのかは謎だ。元の「ライオン・キング」は1994年に公開された手描きアニメーションで、ディズニー・ルネサンスと称される第二次黄金期を牽引した作品の一つ。これのフルCGリメイクが2019年版「ライオン・キング」であり、その続篇たる本作では、シンバの父・ムファサの若き日が描かれる。映像は圧巻の一言だが、前作で見慣れている分、心胆震えるほどではない。筋は問題で、まあ、つまらない。絵は良いが、勧められるものではなく、5点くらい。原典はディズニー作品でもハイレベルなのに。
洪水で父母とはぐれたムファサは、王・オバシの子・タカこと後のスカーと出会い、群れに迎えられる。スカーと共に成長したムファサは、ある時、義母に襲い掛かった白獅子を殺してしまう。ムファサのプライドは、殺された獅子の父にして白獅子の王・キロスのプライドに襲われる。ムファサとタカは落ち延びるが、キロスはムファサを赦さず、執拗に追跡する。逃避行の最中、彼らは同じくキロスに群れを滅ぼされたサラビとその執事・ザズーと仲間になる。タカは段々とサラビを好きになるが、対する彼女はムファサに好意を寄せ、結ばれる。嫉妬したタカはキロスと内通、ムファサらが新天地・ミレーレに着いた際、キロスを手引きするも、ムファサは、ミレーレの原住動物達とキロスを討伐する。その後、ムファサは、最終的に自分に味方したタカを殺さず、名前を剥奪した上でミレーレの僻地に追いやった。
映像は卓抜しているが、前作見たし、って感じ。タカの独唱で、雪山を転げるシーンは非常に幻想的で、嫉妬から温かみを失い、冷酷非情へ落ちていくタカの心理と非常にマッチしていた。また、キロスのラストは無残な溺死ながら、彼の白い体色と水面の青さが映え、美しい。動物のリアルさは秀逸なものの、美的価値がどれほどあるのかはよく分からない。とはいえ、写真だと思ったら映像だった、という驚きは一つの体験であるし、動物を使わずに動物の映像を撮れる点は映画の幅を広げているか。
話は頗る凡庸で、同じ二時間を使うなら前作を観た方が数百倍は有意義。レンタルだと劇場より安いし。欠点を論う前に本作の巧みな点を述べておく。一つに、「ライオン・キング」のオマージュ箇所が繰り返し出てくる点があり、ムファサが親とはぐれる場面は、父の死を目にするシンバの変奏曲だし、冒頭のムファサとタカのデュエットは、平原を二匹で駆け回る点がシンバとラナのそれを彷彿とさせる。また、歌でムファサの成長を表現するのは、ティモンとプンバに出会ったシンバと同じ。シンバに倒され、崖から転げ落ちたスカーを待つハイエナのように、雪山を転げたタカをキロスが待ち受ける。ラストのタカは、水底に沈むムファサを掴むが、これは前作でスカーによるムファサ殺しのパロディである。このように本作には原典から種々の場面が引かれているが、その構成は「ライオン・キング」における動物達の関連性を別角度から浮かび上がらせ、深めるものである。
また、タカの嫉妬は、非常に人間臭く、浅ましいもので、人格的に整っているムファサとの対比で人間味が鮮明になる。ちょっと、陰湿すぎるが、英雄と同じ時代に生まれた苦悩が感じられる彼の性格は本作の面白味だろう。ただ、ディズニーゆえなのか精神の暗部にあまり突っ込んではないが。こうしたタカの描写が「ライオン・キング」のスカーにも深みを与える。
ダメな点はいくつかあるが、一番よくないのは話がブツ切れなこと。本作は、ラフィキがシンバの娘・キアラに昔話をしている設定なため、時折、ラフィキとキアラの会話シーンが挟まれる。まず、これが要らない。よしんば入れるにせよ、頻度をもっと減らすべき。酷い時など、十分おきくらいに入るのだからたまらず、ムファサの話が全然進まないためストレス。加えて、同席するティモンとプンバのやり取りがクドく、観ていて辟易とする。
ラストでタカがムファサを助けるのは謎で、まあ、そうなるんだろうな、とは思っていたが、もう少しムファサへ心が傾く過程を映像で描いてほしかった。あと、戦いの後、あれ程しおらしくしていたタカが何故に将来ムファサを殺すことになるのか、とも思った。人格的に一貫性がないのでは?
一番キャラクターとして面白味があったのはタカで、ムファサやサラビにはあまり魅力を感じない。戴冠への葛藤やタカへの申し訳なさといった複雑な感情がムファサにはあるはずだが(自分が原因でプライドが滅んだため)、その描写は手薄描だった。結果、ムファサはちょっと平面的になっている。モアナもそうだが、若くして成熟し過ぎだ。
話はかなり明瞭だが、全体にキロスと追いかけっこをするだけだから、あまりに単調。勿論、移動しているから、追いかけっこの場所はシーンで変わるのだが、ロケーションが変わっただけで、することは同じ。話が一辺倒なのでは? 何か挿話があったら良かったろうが、尺が足りないか。この欠点は「しんちゃん オラたちの恐竜日記」と同じものである。
ミレーレでキロスと戦う際、ムファサが、草食動物ばかりに協力を呼び掛けるのは流石に草。何で捕食者の手助けをせにゃならんねん。しかし、なぜか協力している。ムファサを王にしようが、キロスを王にしようが食われるだろ。両方倒せよ。