“Winnie-the-Pooh”:Poohの行動がもたらすもの
糸賀寛
はじめに
クマのプーさんといえば、1966年にディズニー社がアニメ化した『プーさんとはちみつ』および、これに続く『プーさんと大あらし』(1968年)、『プーさんとティガー』(1974年)が有名で、三作は後に『くまのプーさん 完全保存版』(1977年)として一つにまとめられた。これらは人気を博したようで、現在でもプーさんはディズニー社の人気キャラクターである。同社の作品でPoohの知名度が高まった一方、アニメに押されてか、日本での原作知名度はあまり高くないように思える。原作の”Winnie-the-Pooh”はイギリスの童話作家A.A.Milneによって書かれ、1926年に刊行された。当作は、息子のChristopher Robinに語りかける構成を持つ入れ子物語であり、”Winnie-the-Pooh”には、100エーカーの森のシーンと、現実の父子のやり取りの双方が登場する。作品は10章構成のオムニバスで、アニメに比べて言葉遊びや言語認知的なネタが数多く散りばめられており、ユーモラスでありながら、哲学的な雰囲気の漂う作品となっている。こうした、児童文学にもかかわらず、時折高度な思弁が盛り込まれる点はルイス・キャロルのアリスシリーズにも通底する要素だと言える。”Winnie-the-Pooh”各章は独立した短編ながら緩やかに繋がっており、大抵はPoohの勘違いやおとぼけ、食欲が原因で様々なトラブルや冒険が始まる。ここからわかる通り、彼の振る舞いは物語の展開に大きく関係している。それを踏まえ、本稿ではPoohの行動パターンの分析によって、主題を明らかにする。以下、引用および頁数は A. A. Milne.”Winnie-the-Pooh”(IBCパブリッシング株式会社. 2005. Print.)に拠る。
1. Poohと食欲
この作品の10章中5章で、Poohの食欲が行動や問題の端緒となっており、物語の大きな要素をなしている。それを受け、ここでは各章における食欲について考えていこう。
冒頭1章からPoohは食欲に従って行動を起こしている。
蜂が飛んでいる音を聞いたPoohは、蜂蜜を求めて巣のある木を登り始める。が、途中で枝が折れ、落下してしまう。その後、Christopherの助けを得て再度、取りに行くが、これもあえなく失敗に終わる。
次いで2章。Poohは散歩をしている時にRabbitの巣穴を見つけ、彼から歓待される。
“Honey”と“condensed milk”をごちそうになったPoohが帰ろうとすると、体が穴にハマってしまう。その原因についてPoohは“It all comes of not having front doors big enough”と言っているが、Rabbitは“It all comes of eating too much”と述べ、Christopherも"We shall have to wait for you to get thin again"と発言しているため、食べすぎが原因である蓋然性は高い。結局、一週間絶食することでPoohは無事、脱出する。
5章では、架空の生物HeffalumpをPoohとPigletが捕まえに出かける。彼らは蜂蜜でHeffalumpをおびき寄せ、穴に落とそうと計画、Poohが蜂蜜壺を家から持ってくるも、色々と理由をつけて中身を食べてしまい、殆ど空になってしまう。二人は壺を穴の底に仕掛けて帰宅するが、眠りに落ちたPoohは次のような夢を見る。
これを受けてPoohは跳ね起き、蜂蜜壺のところへ向かう。そして壺に頭を突っ込み、はまってしまう。
壺にはまったPoohは混迷の中に置かれる。引用からも壺から抜けられず、大童なのが見て取れる。
ここまでで分かる通り、Poohの食欲は蜂蜜に起因して生じ、彼に災いをもたらす原因となっている。
しかし、Poohの食欲は常に否定的に働くわけではない。
6章では、PoohがEeyoreに誕生日プレゼントをあげる顛末が描かれる。最初、PoohはEeyoreに蜂蜜を渡すつもりだったが、彼のところへ運ぶ中途で全て食べてしまう。
Poohは蜂蜜を渡すことを諦め、代わりに空となった壺をプレゼントとしてEeyoreに持っていくと、そこにはPigletもおり、彼からのプレゼントである風船が割れたため二人は意気消沈していた。Poohが持ってきた壺を見て、Eeyoreは次のように反応する。
空の壺が風船を収めるのに最適だったため、Eeyoreはとても喜んでおり、奇跡的にPoohとPigletのプレゼントが噛み合ったとわかる。これは双方の失敗から生まれた偶発的なもので、Poohが食欲に任せて蜂蜜を食べたことが、結果的にEeyoreの、ひいてはPoohとPigletの歓喜に繋がっている。
9章で、洪水から逃げようと、Poohは木の上に避難するが、いつまでも水が引かず、食料の蜂蜜を食べきってしまう。すると、目の前に瓶が流れてくる。
食料がなくなって動転していたPoohは、危険を犯して水に飛び込むが、これは尋常な行動とは言えまい。Poohは蜂蜜のこととなると我を忘れる傾向があるため、この時も無意識的だったのだろう。拾った瓶には蜂蜜ではなく、Pigletからの手紙が入っていた。文字の読めないPoohは、Christoperに読んでもらってPigletが助けを求めているのを知ると、二人で助けに行く。
引用から分かる通り、二人が来たことをPigletは非常に喜んでいる。10章では、これに関してPoohを称えるパーティーが開かれ、筆箱をChristpherからプレゼントされてPoohは歓喜する。食欲に基づいた行為がPigletを救い出す起点となり、同時にPoohへ喜びをもたらす遠因となっている。
以上よりPoohの食欲がEeyoreやPigletに幸いを導き、そうした他者の幸いがPooh自身の喜びに繋がっていることが分かる。ここにおいて食欲は肯定的な意味合いを持つのである。
ここまでから、Poohの食欲が作品前半と後半で異なった様相を見せていることが分かるだろう。食欲は蜂蜜に起因し、その場にそれがある場合はそれを食べ、ない場合はあると思われる場所へ取りに行く。二種の行動は前半でPoohに災いをもたらす一方、後半ではPoohとその友に幸いを与えている。そこにはどのような差異があるのか。
蜂の巣に行くこと、出されたお菓子を多く食べること、罠用の蜂蜜をつまみ食いすること、Heffalumpに取られたくない一心で蜂蜜を回収しに行くこと。これら1・2・5章の行動は、全てPoohが自ら決めて行ったものである。対して6章では”Many a bear going out on a warm day like this would never have thought of bringing a little something with him.”というPoohのセリフにもある通り、彼は注意散漫で、蜂蜜を無意識に食べたと察せられる。これは食べ終わった後に言った “where was I going? Ah, yes, Eeyore.”という目的を忘れていたセリフからも明らかである。9章でも瓶に蜂蜜が入っていると思った瞬間、反射的に飛び込んでおり、意図的な行動でないと分かる。つまり、Poohの食欲に呼応した行為が意図的か否かで、事の顛末に違いが生まれているのである。
2. Poohと探索
作品内でPoohはしばしば何かを探している。10章の内、4章が何かを見つけようとする物語であり、探索は作品で重大な要素となっている。最初に探し物が軸となる3章では、雪上についた足跡の主、がWoozleと呼ばれる謎の生物の捜索が描かれる。
Pigletに何をしているのか問われたPoohはこう答え、足跡をつけた動物、Woozleを捕まえようと画策する。それに賛同したPigletと二人で足跡を辿り、樹の周囲を歩き回るが、結局、Woozleは見つからないままに終わる。足跡の正体はPoohとPigletのものだったとChristopherから告げられ、捜索は徒労だったと最後に知れる。
4章では、Eeyoreのなくした尻尾を探してPoohが骨を折る。
彼は森で一番賢いOwlのところへ相談に出かけ、そこで尻尾がベル紐に使われているのを発見する。
次の5章では、Heffalumpの捜索が行われるが、それをおびき寄せるための蜂蜜壺にPoohがハマったことで、沙汰止みとなり、対象は見つからず終わる。
8章では、Christopherの提案した北極探検にPoohも参加する。
引用から分かる通り、探検の目的は北極点を見つけることである。しかし、子供の彼らが探検する先は100エーカーの森であり、あくまで探検ごっこに過ぎない。その途中でRooが川に落ち、彼を助けるためキャラクターたちは奮闘する。
RooはPoohが見つけた二本の棒(pole)によって川から引き上げられ、Christopherはこの時に”the Expedition is over. You have found the North Pole!"と言ってPoohの見つけた棒が北極点(North Pole)だと断言する。探検の目的だった北極点はPoohによって発見されたのである。
以上、見てきた通りPoohの探索行動は功を奏することもあれば、骨折り損に終わることもある。特徴として、実態のない抽象物が探索対象となることが多い。実在しない生物のWoozleやHeffalump、何を指し示すのか、ChristopherもPoohも理解していない北極点(North Pole)など、現実に存在しないものを探し回るというモチーフは"Winnie-the-Pooh"においてよく見られる。
また探索の成否について見てみると、Poohが自身の好奇心に従って対象を探している場合、その行為は無意味なものとなり、目的が果たされない一方、Poohが他者のために何かを捜索した時は、対象物が偶然にも発見される。4章では、Eeyoreのために尻尾を探し、8章では、Rooを助けるために見つけた棒が北極点と認定される。Poohが何かを見つける時、そこには善意が働いている。換言すれば彼が他者を助けるために探索する時、その目的は果たされるのである。
これに関連して9章のPiglet救出がある。ChristopherとPoohはPigletの助けを求める手紙を受け取り、すぐ救出に向かおうとする。しかし、大雨で森は水没しており、船がないと動くに動けないことが判明する。
Poohは傘をボート代わりにすることを提案、それが上手くいき、二人は無事、Pigletを救出できた。彼の提案は普段のPoohらしからぬことであり、Christopherも"wondering if this was really the Bear of Very Little Brain whom he had known and loved so long"と感じている。この事例から分かるようにPoohは他者のために行動する時、普段以上の能力を発揮して物事を好転させるのであり、それは探索行為も同様で、他者のために探索する時、Poohは目的を達成できるのである。
結び
Poohの食欲は、"Winnie-the-Pooh"において欠点のように捉えられているが、それに起因する行為が無意識的である時は、偶然にも自他へ利益をもたらしている。また、作品ではPoohによる探索が繰り返し登場し、それが自己の好奇心や知識欲による場合に失敗する一方、誰かのための探索では、Poohとその仲間は報われる。
これらを踏まえると、無私が成功を導く要素だと考えられるだろう。食欲にせよ、探索にせよ、Poohが私心から離れた時、彼には幸いが訪れている。食欲は生存に必要なものであり、避けては通れない。作品では食欲それ自体というよりは1・2・5章で見られるような過剰・無用な食欲が失敗を招いていると考えられ、6・9章のような無意識的で、利己心に起因しない食欲は寧ろ成功をもたらしているのである。ここから分かるように必要最低限度の食欲は讃頌され、それを越すことが咎められていると捉えられ、自己の欲望や私心から離れること、無私が作品のテーマと言えるだろう。探索についても、3・5章のような自分の望みを叶えるためのものは必ず失敗する一方、4・8勝のように他者のためになされた場合は、Poohと仲間は幸いを手に入れている。ここでも自己の欲望から離れた無私が成功を導く鍵となっている。
以上より”Winnie-the-Pooh"の主題とはPoohを通じ、私心を抑え、他者のために動くことの価値を訴える点にあると言えよう。