うつや持病の症状がいつ回復するか兆しが見えないあなた(私)へ。
さて、4月ももう後半ですな。あっと言う間じゃな。
桜もアッと言う間に散ったのに
「あれーん?春なのに冬季うつが抜けーん!?」
なぜだか鬱の症状が悪化した私には
心療内科で処方される薬が1つ2つと増えています。
「なんで?どうして?」なんて責め立てても、
良いことなんてありゃしませんので、
毎日ぽやぽやしています🐌
ぽやーんですよ、ぽやーん。
辛さは受け止め抱きしめるが、
そうなった原因追及は総スルーです。
(考えたところで正解は見つからないから)
それより、前をガン見しようではないか。
さて、そんな鬱で半年間休職中の私めの本日の記事は
そんな苦しさを抱える方に、
ほんの少しでも、
読んで気持ちが楽になったり、
そんな受け止め方もあるのねと、
少しでもお役に立てればと思い筆を執ります。
(ご自身の病状がもっと厳しく、この記事があまり参考にならない場合もあると思います。その時はごめんなさい。お痛み、強く共感します。どうか、ほんの少しでも楽になる瞬間が増えますように。祈っています。)
鬱が悪化し、追加された処方薬を飲んだ翌日、
症状が2日間ほど楽になった日があり、
「ありがたーい!らっきー♪」
と、調子に乗って本を読んだり
ウォーキングをしたり、夕飯を作ったり
いつもの土曜のゴルフレッスンを受けていたら
(=普通の生活を送ったところ)
突如、激鬱降臨。
ゴルフレッスン帰りに、
夫と、いつものイオンで夕飯の買い出しをしようと
車から一歩足を踏み出した途端
そんな鬱&ぷちパニ到来。
夫に伝え(夫を困らせつつ)何も買わずに車に戻り、
ばびゅんと帰宅。
帰宅後は倒れるように夜までノンストップ3~4時間爆睡&げっそり。
🍀
その2日間、やっと鬱症状から解放され、健全な心身で日常を送れていたと思っていたのだが・・・
薬さんが、抑えて下すっていただけだったのですな。
ふむふむ。
🍀
すまんすまん。心身に無理をさせてしまったようだ。
もうちょっと休みたかったんだね。
正直、ついね、欲張ってしまった。
「あの本も読みたい、あれも知りたい、これもやりたい」
好奇心と知識欲の赴くまま、机の前に身体を置いてしまっていた。
ずっとベッドで過ごし、身体の凝りもあるから運動も欲している。
つい、水泳したりウォーキングしたり、運動もした。
それに正直、「もう4月なのだから、回復期だよなぁ?オイ?」と私の心身に無意識のうちにプレッシャーも与えていたね。ごめんね。
もっと自分を大切にしてあげよう、もっと自分を大切に扱って良いんだよ
私はいつも、「明日死んでも後悔しない生き方がしたい」と思って1日1日を濃く欲張って生きたがりたいのですが、
逆に人生100年時代、この数か月間の"鬱"で後れを取るもの、失うものは微々たるものである。と、
優しく諭してあげても良いのかもしれないなぁ…。
そこで考えた私は、
この予想外な4月の鬱期間を、
「自分を押し殺してきた、これまでの私を卒業するための卒業試験」のようなもの、と仮設定することにしました。
3人兄弟の長女である私は、小さいころから親の顔色を窺い、
置かれた環境下での期待に応えるために、自分の夢もやりたいことも欲求も全て封じ込めて十代を過ごし、
常に常に自分の気持ちや欲求を抑圧して生きてきました。
結婚してからは、母親ではなく今度は夫の顔色を窺って生きる毎日。
もうね、そういうのは卒業しましょう。
自分を押し殺してきた私を卒業するための卒業試験
そうやって、自分の状況を自分で設定すると面白い。笑
(そう、自分の扱い方、置かれた環境、未来は自分で定義して決めるものなのだ。)
これは、私の仮説なのですが
現在発生している鬱症状たちは、「私が辛い=私のしたくない事をしている状態」に敏感になるためのトレーニングなのだと。(そこに鈍感なので)
鬱症状が出る=それはつまり、自分の心を置き去りにしてタスクをこなそうとしているサイン。サインに敏感になろう。
そしてサインが出る前に自分の行動を止める訓練をする。
自分の心を優先してあげよう!
治りそうだと思ったのに治らない・・・
焦りそうになる。不安もにょろにょろと忍び寄ってくる。
でも、まだこの状況から学ぶものが残っているんじゃない?
なぜなら、私は、
私の症状たちも、全て私の一部であり、
私の身体を構成する全ては愛で出来ているって思うんです。
例えばそれは、物理的にも、
腸内細菌たち、身体の免疫システムたち、全て私の為に生死をかけて毎日を戦い、身体を守ろう、生命を維持しようとしてくれているのは事実だし。
私のこの鬱症状たちですら、
私を守るための脳機能の働きであったり、
私の使命や今後の生き方の糧にする為の必要な体験・感情なのだと思うんです。
そう思うと、この持病たち、症状たちに、感謝で胸がいっぱいになります。
私の魂にこんな体験をさせてくれて、ありがとう。
私に「痛み」を教えてくれてありがとう。
人は痛みを感知出来ないと、痛みに反射して火傷や骨折を防げません。痛みが存在しないと人体は生き残れない。
また、「辛さを克服するという過程」は、もしかしたら今後の私の人生のヒントになるかも知れないし、
万年劇団四季な不自由な心身だからこそ、動けない私の代わりに、自分の分身を育成し成功する最強チームを生み出すボスになるのかも知れない。笑
そう考えるとワクワクしますよね。笑
そして、ハンデを背負うからこそ真の幸せ上手になる
昨日の私めの一日は
頭が混乱して、読みたい本がたった数ページしか読めなかった
心がしんどくて、出たかった英語のレッスンにまた出られなかった
夕方に運動がしたかったけど、気力が足りず外に出れなかった
だけど、
頓服を飲みながらうつ症状をごまかしてキッチンに立ったけれど、そこで作ったガパオライスと春雨スープがと大変美味しかった。しかも夫とふたりで食卓を囲めた。幸せだ。
自家製の発酵食品「醤(ひしお)」に今日もニヤニヤ愛を送り込みながらかき混ぜて、麹菌たちとたわむれた。順調に増産できている。
マンション入り口の花壇の花々が可愛すぎてびっくりした!有難すぎる!
海辺や夫に一目惚れした場所(私のパワースポット)を今日も散歩できて有難かった。
感謝できることは、昨日だけでも、まだまだ、まだまだ沢山あります。
ハンデを抱えていても、幸せを見つけることは可能。
(勿論、鬱症状が辛くて重くて今にも発狂しそうな時はそんな余裕ありませんが)
つまり、この鬱期間は、不自由があっても、幸せを見つける訓練をしている期間でもあるのです。
今回のこの春の鬱の価値は
自分で自分を満たし、自分のグラスを愛で溢れさせ、溢れるからこそ周囲の家族や友人やお客様に愛を注げる型・器を身に付けたいと私は思うから、私はこの時期の不調の意味をこう定義しました。