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長年自分が「努力教」の熱心な信者だったことに気が付いた話(笑)

前回の記事では、自分のうつ病は自分で自らなったものなら、自分で病気を辞めることもできるのでは?と思い始めたお話をしました~🌻

病気は「あなたは今、本来の生きる目的とズレた生き方をしているよ!」「本音に気付いて!本当の自分として生きて!」という身体からの命がけのメッセージ。
▶病気は闘う相手ではなく、自分の奥深くにしまい込んでいる生きる目的に気付かせてくれるためのもの。

※そういうケースもあるという、一例のお話です。

そこで今の私は、

①自分で病気を辞めるために、病気を発生させていた自分の思い込みやセルフイメージに気付くことに取り組みたくなってきた!
②深いところでの本当の自分の本音を探り、見つけて解消するステージに来たな!

と感じています。

さらにその工程を、Noteにちょろちょろ言語化していこうと思います🖊

その過程で発掘する「気付き」がきっと、今後の人生を生きやすくし、誰かの役に立つことがあるかも知れないと感じるからです。

結果この記事が
「私にもそういうところあるかも・・・」
「私にも気が付かなかった思い込みがあるかも」

など、ご自身の思い込み解除、
セルフイメージ書き換えのキッカケになれたら嬉しいです🌻

ではさっそく、私の中の思い込み・セルフイメージを思いつくまま書いていきます!



「無理しないでね」と言われるのが大嫌いだったのは、無理しないでどうやって伸びるんだよ!と思っていたから。

本当はいつも腹八分目を目指したいと思う🍚

二十代の頃、
「クララは"8割"を身に付けたら最強なのに」

と(優しい)上司から言われることがよくありました。


いつも自分の貧弱なキャパシティを越えて頑張り、オーバーヒートしてはメンタルや体調を崩す、という事としょっちゅうしていたのです。

「自分でも、分かってる。分かってるよ!」

だけど、私はいつも周囲の人がかけてくれる「無理しないで」「そんなに頑張らなくて良いよ」と言った言葉が大嫌いでした。

無理しないでどうやって伸びていくんだよ!
人よりスタートが遅かったんだから
頑張らないと追いつけない!
人一倍、損なわれてきた人生なんだから
欲張らないと埋まらない!
無理しないと「普通」に辿り着かない!

なぜそこまで焦っていたのか?

中学高校と、重度のうつ病で学校に通えず、将来に絶望し、自分の夢を思い描くことが出来なかった時代の悔しさや、損なわれた感覚、尊厳を奪われた怒りを、ずっと私は無意識下で、許せていなかったんです。(←暗い)

だからいつも、

「私は欠けている、人より劣っている」と感じていました。
(今も・・・正直そう思っているところがあります。)

だから、「背伸びし続けていくうちに、いつの間にか本当に自分の背丈も伸びていく」と信じていたんです。

にょろにょろ~!!!と

長い不登校の影響で、社会に出た後は周囲との違和感がいつもありました。
突然器用に生きられた訳ではなかったので、二十代前半は、「私は不器用だ」「世間知らずだ」とも思うこともよくありました。

そんな私でしたが、まじめで負けず嫌いでもあるので、「不器用なのだから、人一倍努力しなくては」と思っていた気がします。


だから熱心な努力教の信者になった

前回の記事では「努力教の経典(笑)」という言葉が浮かびましたが、そうなんですよ!盲目的に、「努力は正しい!努力は正義なり!」と思い込んでおりましたわたくし・・・

それでも、頑張りたいけど、頑張るとエネルギーがすぐに切れていました。
もとのエネルギー量が少ない、自己肯定感が低く精神力が弱いと言うか、

その割に周囲に気を遣い過ぎ、接客では一瞬一瞬に全力を出すので、まるで小さな穴の開いた風船のように、常にエネルギーがだだ漏れ状態でもありました。

(こうして客観視して言語化してみると、二十代の私ってなんて、生き方や力の抜き方を知らない女だったんだろう!笑)


努力に勝るものとは

でも、そういう時期があっても良かったんだと思います!

努力によって、自己肯定感を上げることに多少は成功したと思います。

バリスタとしてコーヒーと出会い、コーヒーの勉強や探求により、努力の「楽しさ」を知ることが出来ました。結果、成果と自信も付いてきました。

そして☕

努力を超えた先にはさらに、「夢中になる」という状態に辿り着くことが出来ました。

頑張ろうとしなくても自然と取り組んでしまう、夢中になると、勝ち負けもどうでも良くなり、ただただ魂が喜ぶ状態が存在することを知ることが出来ました。とことん努力して、”好き”を磨いた先に夢中がやってくる。

だから、そういう時期も必要でした。
そういうめぐり合わせ、そういう物語を歩ませて頂いた数々の出会いには本当に感謝です。

ただし、

努力することが目的になってしまうと、いつまでもゴールにたどり着けない事実


「頑張る」「目指す」「努力する」と言った言葉を、私はこれまで本当によく使ってきたなと思います。努力教の信者が大好きな台詞です(笑)

ただし、これらの言葉は"ゴールに向かっている状態"を示しているので、プロセスに焦点があっているんですよね。

今気付いたんですけど、

外資系ビジネスコンサルタントの夫は、絶対に「頑張ります」「努力します」とか言わないんですよね。
彼は常に"結果を出す"ことが目的なので、どんなに頑張ろうと、どんなにサボろうと、彼にとってどんな過程で過ごすかは重要ではないんです。

一方で「頑張っている状態=正しい状態」と私が無意識下で認識しているうちは、私はいつまでも苦しい状態を自分に課してしまいます。
(えー!それはもうヤダー!!)


結論「私は欠けている、人より劣っている」というセルフイメージを手放そうぜそろそろ!

▶自己肯定感の低さから努力にしがみついていた事に気付いた。
▶「自分は欠けている、人より劣っている」という思い込みに、実は証拠はないので手放しちゃいましょう!
▶努力が目的になっていると、いつまでも苦しいまま。盲目的な努力教の信者はもう卒業しよう。
▶努力よりも「熱中している状態」なら心が喜ぶ。

最後までお読みいただきありがとうございます!
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