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名言で勝手にエッセイ 【9】

※ 2024年7月13日、若干の加除訂正をしてみました😅

本日の名言

お元気ですか、note-dogです。
今回は、フランスの細菌学者、ルイ・パスツールの言葉を借りてみます。


この人の偉業は幅広いそうなんですが、
ワクチンの予防接種という考え方自体(!)を生み出したとか、
その後狂犬病ワクチンを開発したとか、
ワインやビールや牛乳の腐敗を遅らせる低温殺菌法を考案したという、
なんともグレートな人です。
僕の脳みそが、コロナ禍を経ているからかもしれませんが。


原文等

【英語の翻訳文】
Chance favors the prepared mind.

ルイ・パスツールのスピーチより

【フランス語の原文】
le hasard ne favorise que les esprits préparés.

同上の出典
(ちなみに、スピーチの文脈についてはこちらなどご参照ください。)

試訳

幸運は、準備を終えた精神をこそ好む。

訳すときに考えたことなど

この言葉は神がかっている魅力があるのか、
実に多くの和訳が存在するようです。

僕は、動詞の訳出に関し、
原義としての favor を尊重したいと思います。
なので、好むという感じにしたいのですね。
カタカナ英語にもなっている、フェイバリットというやつです。

他方、主語は面白いのです。
フランス語は文頭の h を発音しませんから、
hasard はアザールになります。
いや文末の d も読んでませんね(汗)。

英語だと真ん中が z で、
バイオハザードシリーズなどでも有名な災厄、害悪になります。
なのに、
フランス語だと、幸運と訳すより前に、
善悪中立的というか、運命(の女神)的なものらしいんですね。

この二極で取り違えちゃうと、
きちんと準備していたのに悪霊に魅入られた
みたいなことになって文意が正反対になります。
なんで英仏でこんなことになっているのかは、
歴史的経緯も含めて調べると面白いのかもしれません。

僕は文学者じゃないので、
そこまで調査できる自信も能力もありませんが…😅


パスツールは文系と理系にとってどんな位置づけだろうか?


文系の人間には(という分け方自体が、日本人を総合知から遠のける遠因になっているという批判はもっともだと思う派ですが、便利なので敢えて使っています)、形骸化した「成功にまつわる金言」くらいにしか思われてなさそうです。

憶測ながら、理工系の人にとっては、
これまでの名言繋がりですが、エジソンの述べた、
「1%のインスピレーションがピンとくる話」のフランス語バージョン
かもしれません。

世紀の発見をするには、
人事を尽くして天命を待ってないと、
目の前を通り過ぎていくのに気づかないのだと。


例示と締めくくり


もしも上述のように、
マインドセットがダメだったら。
実験器具に兆しが現れてもなお、気づけないかも。

例えば昨今、大学の自治が新自由主義的に、
功利的に、変質させられてしまっているという批判(概略)が、
実は断続的にソーシャルメディアに流れてきます。
国の存続にかかわることなので、もっと騒がれておかしくないのですが)

象徴としてのSTAP細胞の一件だけにとどまりそうもありませんが、
常日頃イノベーションを求められて、
「若い学者が近視眼的で見栄えのいい先端研究で名を上げることにしか興味がない、日本の基礎研究は死に体だ云々」と言われるような文脈。

僕は理工系ではありませんが(汗)、
これって、彼らは功名心で常に心が曇っているので、
焦りまくって、満ち足りておらず、
結局幸運の女神に見放されているんではないかと…。
しかも、先賢の蓄積した基礎研究を犠牲にしながら

微に入り細を穿つ観察眼を要するぞという
細菌学者の名言を借用しておいて、
情緒的な締めくくりで恐縮ですが…もう一度
冒頭の名言を締めくくりにどうぞ。

Chance favors the prepared mind.

le hasard ne favorise que les esprits préparés.

ルイ・パスツール(英仏併記)

オマケ

つい先日、自分もセレンディピティについて
雑文を書いていた
ので(庭の掃除の話だろ)
これぞ奇遇だなあと思い、下記紹介します。

パスツールについてネットで調べていた時に、
上記フランス語のアザールをチャンスではなく
セレンディピティに置き換えて指針にしている実験室
がありました
(ミッションの紹介文ご参照ください)。

とはいえ東大のラボなので、
誰でもお邪魔できるわけではありませんが😅。

…パスツールの言葉を
最高学府でも大事にしている
のだから、
それを粗末にする大学の自治なんてありえないよな、
と思ったりした次第。


オマケ2

翻って海外に目を転じた時に、
国際的な学会も
なんだか心構えが落ち着かないようなことがあるものなのだな
という事例が先日ありました。

ワクチン接種を考案したパスツールの偉業に比して、
構成要素や効果について疑義も提起されているのに
(つまり誰もが認めるというところまで事実関係が固まっていないのに)、コロナワクチンのmRNA開発の学者たちに
ノーベル賞がさっさと授与されてしまうことの政治性の臭いなども、
かなり気になるところです。

ホントは、禁忌を犯した濫用事例かもしれない。
文系人間の邪推でしょうか?

本来、まだ受賞には時期尚早であるのを
敢えて検証未了で速めてしまった
ようで、
あってはいけないような。

これは本文中で触れた取り違え、
アザールでなくハザードのほうだったりして…。


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