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私が子供だった頃の忘れられない田舎の海での夏休みの思い出


今日は私が子供の頃の忘れられない夏休みの思い出を書いてみたいと思います。

といっても、以前書いた記事のリライトなんですけど
(苦笑)

実は、宮島ひできさんのこちらの記事を拝読して
私も子供の頃を懐かしく思い出し、小学6年生の時に夏休みに起こったある出来事を
再投稿したくなりました。




ひできさんは60代で私と同じ世代です。

ご両親とお兄さまと
夏休みの最初に海で過ごされた印象深い思い出を振り返り、今の気持ちをひできさんの優しい視点から描かれています。


少年の頃 海の日 7月20日 青い空に白い入道雲そして広がる海、夏休みの始まりである。

買ったばかりの父の軽ワゴンに家族四人で乗り込み海水浴に行った。
愛知県豊橋市は渥美半島の付け根、伊良湖岬に行く途中にある。

半島の外側は太平洋、波が荒く遊泳禁止の外海では両親には内緒で悪友と泳いだ。
白くどこまでも続く太平洋岸の砂浜の行き着く先は島崎藤村のうたった『椰子の実』の恋路ヶ浜である。
この歌に心打たれるのはまだまだ先のことである。

そんな外海とは対照的に内海は静か過ぎるくらい静かだ。
国道から脇道に入って松の林を抜けると波が白く光る小さな入江が目に入る。
そこに臨時の海水浴場があった。

両親の監視の下、障害を持つ兄と浮輪につかまり日がな一日クラゲのように漂った。
そして昼は塩辛い母の作った丸く大きな塩むすびを食べた。

それから兄は母の膝を借り木陰で昼寝、私はまたクラゲになった。

一日良い子でいた。

父母は夏休み初日に親としての義務を果たし、次の日からは毎日働きに出た。

私は兄とまだクーラーなど無いアパートで休みの間を過ごした。
はっきりしない漠然とした不安を抱え本ばかり読んでいた。

夏の日、夏休みが始まるとあの時の気持ちが心の底から湧き上がってくる。
青い空、白い入道雲とは対照的なモノトーンなあの部屋の灰色が心に広がる。

宮島ひできさんのnoteからお借りしました


ひできさんの思い出の海は太平洋で、私の思い出の海は瀬戸内海と場所は違うのですが

ひできさんと同じように、私も夏の始まりには、今でも
子供の頃の田舎の海をふと思い出してしまいます。


50年も前のこと

私が子供の頃 
夏休みのお盆には毎年両親の故郷である瀬戸内の小さな島に両親と4歳下の弟と家族4人で帰省していた。

その島は車で30分も走ると島の全体を一周することができるような本当に小さな島で、ホテルどころか民宿すらなく
泊まるところは父の実家、
私の祖父母の家だった。

祖父母の家には父の兄の家族も同居していて、私のいとこたちも一緒に住んでいた。

私は優しい従兄弟のお兄ちゃんに毎年会うのがとても楽しみだった。

というのも、私は長女で
いつも母から『お姉ちゃんなんだから』と
弟の世話をさせられていたので、お兄ちゃんが欲しかったから・・・
(何故かお姉ちゃんではなくてお兄ちゃんが欲しかった)

いとこのお兄ちゃんは
私よりもひとつ年上だけだったけど、大人っぽくて、笑顔が素敵で、いとこの私にすごく優しかった。

一年に一度くらいしか会わない いとこ同士だったが、
そこは子供同士、会うといつもすぐにその距離は縮まったのである。

その時だけは、私は兄を持つ妹のような気持ちになれたし、いっぱいお兄ちゃんに甘えた。

海でも、山でも、いとこのお兄ちゃんは私が行きたい、と言うところに連れて行ってくれた。

私は彼のことをター君と呼んでいた。

私は虫や蛇やトカゲが苦手で、山よりも海の方が好きだった。

それで田舎に滞在中は、ほとんど毎日 ター君に海に連れて行ってもらった。

ただ、ター君は海には連れて行ってくれたが
一緒に私と海で泳ぐことはなかった。

子供の私は詳しい理由は知らなかったけど、何かの病気で海には入れなかったらしい

私たち3人(私と弟と従姉妹)が楽しそうに海で遊ぶ様子を、いつもター君は、砂浜でニコニコしながら見守ってくれていた。

私たちは海の中で気持ち良いけど、ター君は砂浜で待つのだから暑くて仕方なかったはずなのに、ター君はひとつも嫌な顔もせず、私たちが泳ぎ疲れるまで付き合ってくれた。


田舎のことなので、家から水着を着てバスタオルを肩にかけて海まで歩いて行き

帰りはびしょ濡れの水着のまま、家まで歩いて帰る

髪の毛からしたたる海水のしょっぱさ

アスファルトなんか無い
田舎のでこぼこ道

ビーチサンダルに砂が入って歩きにくい

ジリジリと焼ける太陽の下

家に帰るまでに水着は乾いてしまう

子供4人はのんびりと寄り道しながらワイワイ歩いて
家に帰る

朝から海へ泳ぎに行って
お昼ご飯を食べに一度家に戻り、またお昼から海へ行く

そして畑で採れたスイカをおやつに食べてお昼寝

そんな単純なことの繰り返しだったが、それが楽しかった

大阪で生まれて育った私にとって、田舎の海はもうパラダイス

私は海で泳ぐのが大好きだったので、毎年、水着の跡がくっきり残るくらい真っ黒になっていた。

日焼けでひと夏に何度も皮が剥けるくらい

50年も前のことだ

今みたいに紫外線対策なんてしない時代

日焼け止めなんてあったんだろうか?

『子供は夏に日焼けすると風邪をひかない』なんて親から言われて

真っ黒さを競い合ったりして

そんな時でも、海に入れないお兄ちゃんは、夏でも長袖を着て、帽子をかぶり色白の肌だった。

小学生の高学年にもなってくると、だんだん私も海に入れない彼のことが気になって、ちょっぴり罪悪感のような気持ちと、彼に対して可哀想な気持ちを持ちはじめたのも覚えている。


私が小学6年生で
ター君が中学一年生の夏休み

その年の夏も、相変わらず海に泳ぎに行く時に
私たちに付き合って、文句も言わずについて来てくれたター君。

いつもなら、待ちに待った海水浴に海をめざして我先に駆け出す私は、ふと、振り返って、砂浜に立っている彼を見た時に足が止まった。

ター君は水着姿だった。

そして私たちの後から海へとゆっくり歩いてきて

ゆっくりゆっくり波打ち際までたどり着いたター君は
そこから躊躇なく海へ入って行った。

『中学生になったら、泳いでも良いとお医者さんから言われたんや』

海に入った彼はうれしそうに誇らしそうに私に言った。


私は初めてター君と海に入ったあの夏を忘れない

一緒に海で心おきなく遊んだことも

『また来年も一緒に海に行こうね』と彼と約束したことも


なのに


その年の年末

仏壇のローソクからの引火で
祖父母の家が火事で全焼してしまい

(幸い全員無事だったが)

それから祖父母と従兄弟の家族は同じ島の中だが他の地域へ引っ越しした。

次の家は前よりも狭かったので私の両親は父の実家に気を使ったのだろうか

それからのお盆は母方の親戚の家に泊めてもらうようになり、私はター君とそれ以来会えなくなった。

しかし、中学生になった私は、前ほど海へ行くことにもワクワクしなくなっていた。

中学生になって、部活や友達の方が私の中で大きな存在となり
田舎の海の魅力はだんだんと薄れていたのだろうか。

あの夏からたった一年だったのに

私はずいぶん変わっていた。

それは子供から少し大人へと変わる時だったのかもしれない。

それでも、ター君と初めて泳いだ海の色と匂いは私の脳裏に焼き付いている


むしろ一度だけだったから
強烈なのかもしれない



5年前に両親と弟と私で、墓じまいの永代供養のために
45年ぶりに私は田舎を訪れた。

都会の街と違って田舎の景色は驚くくらい変わっていなかった。

そこだけ時間が止まったように。

ただ人々は老いて村は寂れていた。

けれども、私が子供の時に大好きだったあの海は相変わらずそのままでそこにあった。

私はなんだか子供時代に戻ったようでうれしかった。

私の子供時代の海で過ごしたたくさんの想い出

あれは間違いなく全て私に起こった出来事だった。


ター君は高校を卒業して広島を離れ、東京の会社に就職した。

今では会うこともないけれど

あの夏のことを覚えているかな?

それを確かめることはしないと思うが

きっと彼も覚えていると思いたい。


長文を最後まで読んでくださりありがとうございました。

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candy @ (ミルク)
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