「軍需産業と女性労働: 第二次世界大戦下の日米比較」の感想:戦時の「働く女性たち」から、現代に繋がる問題点が見えてきた話
今年読むことを目標にしていた本、「軍需産業と女性労働: 第二次世界大戦下の日米比較」(著: 佐藤 千登勢 彩流社)を読み終えました。
「戦前・戦時・戦争直後の航空機産業における女性労働がどのように行われていたか。そして、日本とアメリカの相違点、類似点はどのようなものであったか」を探るというとても刺激的な本です。
第二次世界大戦の女性労働について知ることで、単純に知的好奇心を満たすことが出来ましたし、現代社会にもつながる気付きや、自分の身の回りで出来ることはないかと考えるきっかけにもなり、良い読書が出来たと思います。
少しだけと言いつつ、またダラダラと本を読んで思ったことをメモしていこうと思いますが、初めに書いておきたいことは、¥5,000と少しお高いように見えて、実はとてもリーズナブルな本だということですね。
どういうことかというと、上述のテーマ「日米の戦時の航空機産業における女性労働」を探るためには、まずは「戦時の航空機産業」の構造や労務体制のスタンダードについて、しっかりと把握する必要があります。
そして、その上で「異質」であった「女性」労働者がどのように働いていたかを探る必要があります。
しかも、日米の2国分…!
さらに、この本では「異質」な女性労働者が新たに参入することの影響、言い換えると、「女性労働者が入ることで、航空機産業や航空機生産体制にどのようにフィードバックが有ったのか(もしくは無かったか)」についても、述べられています。
そして各章の最後には、調べ上げた日米二つの事象を並べて、類似点・相違点が丁寧に検証されます。
つまり、この本は戦前、戦時、戦後直後あたりの以下の事柄について書かれている本と言えます。
◎「軍需産業と女性労働: 第二次世界大戦下の日米比較」に書いてあること
(1)アメリカの航空産業の構造と労務体制
(2)日本の航空産業の構造と労務体制
(3)アメリカの航空産業における女性労働
(4)日本の航空産業における女性労働
(5)アメリカ女性労働者が航空産業、航空機生産体制に与えた影響
(6)日本の女性労働者が航空産業、航空機生産体制に与えた影響
(7)日米の航空機産業における女性労働の相違点・類似点
こんな感じで並べて書くと、それぞれが一冊の本になってもおかしくないと思いますが、これら7つが史料に基づき的確に述べられ、一冊にまとめられています。
普通の本¥3,000として×7をすると¥21,000を払ってもおかしくない内容が、1冊¥5,000で読めるのだから、「実は安くてお得な本だな」と読み進めていくうちにふと思いました。また、著者の佐藤さんは調べ上げるのが本当に大変だったろうなとも思いましたので、まず、書いておきたいと思います。
さて、内容的な面で書いておかねばならないのは、上記のテーマを追い求めていくうちに明らかになっていく、航空機産業における「女性の仕事の創出」です。
日米双方共に同じ事情ですが、第二次世界大戦時は航空機の大増産が必要となりました。また、それまで航空機産業で働いていた成人男性は戦地へと送られるため、女性にも航空機産業を担ってもらおう、とする動きが出てきます。
日米で類似点と相違点は有り、本に書かれた内容はどれも興味深いのですが、個人的に特に面白いと思ったのが、先に挙げた「女性の仕事の創出」です。
男性労働者が中心だった航空産業の中に女性労働者を新たに入れていくために「小さな部品を繊細に組み立てていかないといけない航空機産業は、器用で気配りのできる女性に向いている」などという言説が生まれたそうです。
そして、体力と筋力のない女性という「特性」を活かした「女性に適した仕事」という「考え方」が新たに創出されることになります。
これは、日米両国で同じような動きがあったそうなのですが、日米の生産技術の違いもあって、「女性労働力」の活用という点では日米で差異はありました。例えば自動車産業が発達していたアメリカではライン生産方式を応用して女性女性労働力を航空機増産に取り込み活用することに成功しましたが、日本は全体的な生産システムに取り込むことはできなかった、と佐藤さんは評価されています(P.172)
ただ「女性と航空機の仕事」をめぐる言説が日米で非常に似ていたというのは、とても興味深いことです。本文から引用すると下記の通り。
また、女性が働くということは「戦時の一時的な措置」であり、戦争が終わり次第、女性は家庭に戻るべき、という考え方も日本と(ちょっと意外でしたが)アメリカの人々の共通の認識だったそうです(P.220)
そして、本来家庭に戻るべき女性にとって「母性の保護」が重要であり、労働時間を制限したり、体力を消耗させる仕事は減らすような方針を、航空機産業の経営者は取るようになったそうで、こちらも意外にも日米両国で同じような考えだったそうです。
これらの考え方は女性労働者を増やすこととなりましたが、逆に女性は「一時的な労働力であり、熟練が不要な単純作業のみ身に付けることが出来れば良い」ということになってしまいます。
最近、認識した概念なのですが、性別が要件として特に求められていないのに、職業や役職に就く人の性別の偏りが発生してしまうことを、労働の「ジェンダー化」と呼ぶそうです。つまり、戦時の航空機産業でもジェンダー化が起こったということですね。
ジェンダー化の問題点は職業や役職によって、性差が生じること自体であるだけでなく、基本的に女性の側がジェンダー化によって、利益を享受するケースが非常に少ないということと思います。
戦時の航空機産業でも起こった「単純で体力の要らない作業」は女性、「熟練と体力が必要な作業」という労働のジェンダー化は、単純で体力のいらない作業は給料が低い訳ですから、その結果、男女の賃金格差を生むことになりました。また、熟練が不要ということで、女性はキャリアアップの芽も摘まれることになります。
ジェンダー化、そして、それに伴い結果的に女性が不利になるという事態は、現代の社会でも共通の問題であり、とても興味深く感じました。
また、経営者が仕事のジェンダー化を進めていく理由(言い訳?)として、「女性はいずれ家庭に戻るべき」「母性保護」と、今でも普通に使われている言説に囚われていたことは、注目しなければならないことです。
戦争という国家の危急存亡の時でさえ女性の社会進出や権利の向上を(結果として)阻んでしまうのですから「家庭」や「母性の保護」という言葉には凄い力が宿っているのだと思います。もしかしたら、女性の地位向上を阻害する強力な「魔法の単語」みたいなものなのかもしれないな、とも思いました。
現代の日本に於いては「女性は家庭を守るべき」という考え方は少しずつですが廃れていってはいると思うものの、「母性の保護」については「産前、産後に必要な女性の健康状態の確保」という観点から、女性労働に関しては重要な議論の一部分と思います。
こういう議論をする際には「母性の保護という『魔法の単語』が独り歩きして、(女性が不利になる)ジェンダー化が起こらないかどうか」について、細心の注意を払う必要が有ることを認識しました。
言葉遊びかもしれませんが、例えば、
「母性の保護」という言葉をやめて、「親の健康状態の確保」という大きな括り中で、父母、性別ごとの対応を考え、その中に出産・育児を位置付けるといった考え方が必要なのかなと思います。
そもそも、私が第二次世界大戦時の女性労働について本を読んで勉強したいと思ったのは、大戦時の日米の女性労働の活用の違いが、戦後の女性労働の在り方に少なからぬ影響を与えているのではないか、という予想があったからなのです。
戦争の本を読むと、時々、欧米諸国は女性労働力をしっかりと戦争体制に組み込んでいたという記述に出会いましたので、「成功した欧米諸国」「失敗した日本」というような漠然としたイメージで、それが、現代の女性の社会進出の差異(欧米諸国は高く、日本は低い)みたいなものに繋がっているのかな、と思ったのですが、本書を読む限りはどうやらそうでもないようで、「戦時中から日米双方ともに現代と同じような悩みがあり、それは未だに解決されず問題であり続けているらしい」と認識を改めました。
また、「現代日本は女性の社会進出が遅れている」というのは事実としてありますが、日本は明治時代から、繊維・紡績産業で多くの女性労働者を雇用してきたという歴史的な事実もあります。
本の中でも、日本では女性が多く働く繊維・紡績産業から航空機産業へ業種転換することが政府によって推奨され、近江絹糸(オーミケンシ)のようにアメリカの生産体制を参考にして女性労働を活用し、見事に業種転換に成功した(と政府によって褒められた)企業もあったことも紹介されています。
更には、戦時中は動員によってそれまで働いていなかった多くの女性が半強制的に働いていた訳であり、形はどうあれ「社会に進出している女性」というのは、明治以降、日本でも少なく無かったのではないかと思います。
よって、日本においては「女性の社会進出が遅れている」という見方ではなく、実際のところは「社会に進出した女性の地位が、多くの事情によって、100数十年近く低いままに留め置かれている」という見方の方が正しいのではないか、と思います。これも本を読む過程で改めることが出来た認識の一つです。
さらに、本に書いてあって少々悲しくなったことも紹介したいと思います。それは戦争が終わった後、日米共に軍需産業に就いていた女性の多くが解雇されたという事実です。
例えば、アメリカ・カリフォルニア州では、耐久財産業に従事していた女性の数は1944年10月には14万4700人も居ましたが、終戦による生産体制の縮小に伴い、その後1年間で3万7000人に激減したそうです(p.268)。
また、戦地から戻ってきた男性たちの雇用を確保するため、女性は本来あるべき場所=「家庭」へ戻ることが推奨されました。
ここで面白い(面白くは無いんですが)のは、戦時に「女性に適した仕事」として新たに創出された職種に、男性が職場復帰の過程でどんどん入っていったことです。
このことについて、佐藤さんは「・・・戦時期に航空機産業で確立された性別職務分離は、あくまで政府や経営者の意向によって定められた、非常に恣意的なものであったと言うことができる」(P.278)と述べられています。
こんな流れをどこかで見たな、と思い出したのが、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんの本「戦争は女の顔をしていない」です。
「戦争は女の顔をしていない」は、第二次世界大戦時に独ソ戦で従軍した女性兵士たちの戦時中の話を戦後にスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんがインタビューして集めた証言集ですが、個人的にこの本は、彼女達の戦時中の話はもとより、女性兵士として戦地に居た経験が「戦後どれほど彼女達を苦しめているか」ということに着目しなければならないと思っています。
ソ連ではナチスドイツとの戦争の際、多くの女性兵が投入されましたが、彼女達の多くは強制された訳ではなく、祖国の奨励に応じて志願した志願兵でした。
兵士となった彼女達は、戦場という地獄の中でも女性らしさを消すことが出来ず、戦後は戦地で染み付いた兵士の習性やトラウマから中々逃れられません。そして、さらには兵士として戦ったという「女性らしくない」経験によって差別や偏見に晒されることとなったことが、戦時中のことを証言する過程で語られます。
更に辛いのは、壮絶な経験を語る彼女達の多くが祖国の為に戦ったことを「誇り」にしていることが発言の端々から読み取れることで、初読時、その事実が心に痛々しく突き刺さったことが強く記憶として残っています。
このような痛々しいことが起こってしまうのは、戦争のような急を要する状況でだけ「弱い立場の人間(この場合は女性)をおだて、都合良く使いながらも、戦争が終わって用済みになれば使い捨てれば良い」という冷酷で非人道的な考え方が有るからだと思います。
そして、それは女性の兵士を動員し使い捨てた国家だけでなく、「女性は戦地になど行かず、家庭を守るべき存在である」と思い込んで、かつての女性兵士を蔑み、差別したことからもわかるように、国民一人ひとりも持っている考え方なのだと思います。
「戦争は女の顔を…」ほど激しいものではないですが「軍需産業と女性労働」で戦後、女性労働者が多数解雇され、家庭に戻れと言われたということを知って、なんとなく、その嫌な感じを思い出したのでした。
また、アメリカで終戦直後の厳しいインフレから航空機産業以外の職種に再就職した女性も多かったのですが(P.270)、朝鮮戦争が起こって以降、航空機の製造が必要になった冷戦期には、再度、女性労働者の多くが航空機産業に従事するようになったそうで、これも少々、後味が悪い事実と思います(P.281)。航空機製造を禁じられた日本の方は別業種の転換といった感じで、再度、女性労働力が求められたのですが、そこでも戦時に創出された「細かい、気配りができる、単純労働に向いている」という「女性の特性」を活かした「女性の仕事」的なものは残されたのでした。
私は右翼的な思想を持っているような人間ですので、国民はある程度は国家や社会の為に頑張らないといけない局面も有ると思っています。
しかし、立場の弱い人々を都合よくおだてて使い、用が済んだら冷酷に使い捨てたり、また気軽に呼び戻したりといったようなことは「あってはならないこと」「やってはいけないこと」と思います。
戦争は今のところ日本では遠い話ですが、例えば、最近であれば、コロナ禍で医療従事者の方々や保健所などの公衆衛生に携わる人たちが、自分たちのことを度外視して頑張ってくださっており、また、社会も足りない部分はあるとはいえ、様々な応援をしています。
コロナ禍が終わった後に、頑張ってくださった人々に、何らかの理由をつけて、冷酷な目を向けることが無いように注意したいと思います(コロナ禍の最中にもかかわらず、医療従事者、公衆衛生に携わる人たちに心無い言葉を投げかける人達を見かけるので、そのようなことが起こらないとは言えないのではないかと思います)
また、戦争という激しい事象は、「揺り戻し」みたいなものも大きいのだろう、という点も改めて認識しました。
「戦争・軍事によって進歩が生まれた」というのは良く言われる言葉で、例えば飛行機や原子力、インターネットなどは例としてよく挙げられます。上記の通り、私は戦争が「女性労働」にも何らかの「進歩」をもたらしたのではないか、と少し前から予想していて、色々と本を読んだり、インターネットで論文などを意識して読んできました。
(戦争が女性の権利向上を促進したという考え方だと、例えばリンクのような論文があります。https://togaku.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=357&item_no=1&page_id=13&block_id=21)
最近でもNHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」で「女性がズボンをはくようになったのは、第一次世界大戦の際の軍需工場で女性が働くようになって以降」ということで、戦争が女性の権利向上を後押しした意外なエピソードの一つと紹介されていました。
しかし、「女性がズボンをはけるようになったこと」は、それはそれで素晴らしいことと思うものの、個人的にはそんなもん、別に戦争とか関係なく女の人もズボンくらい履いてもええやんけ、と思ってしまいます。
「戦争は女の顔を…」や「軍需産業と女性労働」で、戦争が終わった後、戦時体制から平時への以降の過程で、非人道的な仕打ちを受けた弱い人々がいたことを知った後では、「戦争による進歩」よりも、その過程で、傷つけられた人々がいなかったかいうことにこそ注目をしなければならないのではないか、と思うようになりました。
そして、女性の権利に限らず、「戦争が進歩をもたらした」という言説のほぼすべてに当てはまることかと思いますが、戦争・軍事で進歩したと言われることの多くは、尊い人命や多大な資源を失うことになる戦争中でなくとも、平時にも行えるものと思います。
更には、戦争には上記の通り大量に解雇された女性労働者のような「揺り戻し」があり、戦時中だけでなく、戦後にも大きな傷を残すことになるので、とにかく、戦争と言うのは良い結果を残さないのだと思います。
少し話は脇に逸れますが…と言いつつ、「軍需産業と女性労働」にも紹介されていたのですが、第二次世界大戦時のアメリカの勝利の鍵となった航空機の大増産体制は、平時に発展した自動車産業において確立されていた生産技術の応用である面が大きいようです。「戦争で飛行機の進歩があった」という話も「平時の自動車産業が成長していたことが重要な要件であった」と言うことが出来ると思いますので、「戦争が進歩をもたらした」と言う考え方も、「平時での進歩があったからこそ」ということも忘れてはならないと思います。
私みたいな軍事オタクは「実はインターネットは軍事技術で…」みたいな感じで「戦争・軍事にも進歩をもたらした良い面があった」みたいなことを言いたくなるのですが、その過程で「揺り戻し」のことや「平時での進歩」のことを考慮に入れつつ話をしていかねば、と思います。
さて、ちょっと、嫌な話が続きましたが、最後に少し今後の生活に役に立ちそうな明るい話を。
増加していく女性労働者を支援する為に、戦時には日米共に様々な制度が創出されました。
それらの支援制度は、戦後の「女性は家庭に戻れ」の「揺り戻し」の過程で廃止されてしまったものも有りますが、残されたものも有ります。
一例としてアメリカでは、カウンセリングの制度が残ったということ紹介されていました。
アメリカでは戦時の女性労働者の離職率が高くなりがちであり、女性に仕事を辞めさせず、生産体制を維持していく為に「女性労働者に何が必要とされていて、どんなサポートが必要なのか」ということについて、経営者は意識を向けるようになりました。
そして、働く女性の悩みを聞いて、労働環境だけでなく生活面などの相談に乗り親身にサポートするカウンセラーの制度が発達したとのことで、この制度は戦後も引き継がれたそうです(P.299)
ここで思い出したのが、別で読んだ第一次世界大戦の際のイギリスの女性労働に関する本「戦争と福祉」(著:武田尚子 晃洋書房)で、こちらも女性労働者の悩みを親身に聞いて、労働に限らず幅広くサポートする役職が、女性労働者の活躍に重要な意味を果たしたことが紹介されていて「似てる!」と少し驚きました。
第一次世界大戦時のイギリスでは政府が福祉に関して指導する部署を置き、各工場に派遣してきめ細やかに問題点の指摘・改善のサポートを行ったり、女性労働者の生活面のケアなども行ったそうです。
第一次大戦時のイギリス、第二次世界大戦時のアメリカの成功を見て、女性や立場の弱い人たちが働くのは、こういう対面のウェットな対応が意外と重要なんじゃないかな、と感じました。
日本だと、女性を職場に放っておいて、あとは「自己責任」とか言い出しかねないと思いますので、日本人は自分達が思ってる以上にドライ(冷酷?)な所があるのかもしれません。
会社などで、職場に女性社員がいた時に、例えば、自分が上司などの立場であれば、親身になって悩みや問題点を聞いてあげるとか、男性に話しづらいことも有るでしょうから、女性のカウンセラー的な人の配置とかを考えるなどをすることで、女性にとって働きやすい職場を作ることに繋がるのかな、などと考えるようになりました。
と、こんな感じで、また今回も長々と書いてしまいましたが、昔のことを知ることで認識を改めたり、新たに未来について考えたりすることができました。正に「温故知新」。本当に読んで良かったです。
さて、私は女性と戦争に関する本数冊を今年は読むことを目標にしていて、この本が今年の目標の本のラストになります。
2~3年前から、子供たちの世代の女性が幸せに暮らしてほしいという想いでフェミニズムというものを勉強しないといけないな、と何となく思っていたのですが、個人的にとっかかりが有るように思えた戦争関連の本を当たっていった感じです。
今年、数冊の本を読んで、何となく自分の中で意見をまとめられそうな気がしてきています。未だ数冊、読んでおきたい本が有りますので、来年以降も勉強していきたいと思います。
あと、この「軍需産業と女性労働: 第二次世界大戦下の日米比較」は数年前からずっと読んでみたいと思っていた本なのですが、初版から増刷されることは無かったようで、Amazonなどでは購入できない本でした(時々、高い値段がついて出品されています。一度、買ったのですが、古本屋さんの間違いで全く別の本が届いたことが有ります泣)
長崎の図書館にあることを確認できたので借りればいいやと思い、「今年読む本」の一冊にしていたのですが、今回、「日本の古本屋」(https://www.kosho.or.jp)というサイトの「探求書」に登録することで、購入することが出来ました。
この「探求書」リクエストは、「日本の古本屋」会員専用機能(会員登録は無料です)で、欲しい本をリクエストしておくと、全国の古本屋さんに入荷が有り次第、メールで連絡が入ってくるという超便利なサービスです。
私は数年前に会員登録をして、「軍需産業と女性労働」をリクエストしたことも忘れていたのですが、今年6月に突然メールが有りました。そして、実物が地方の古本屋さんから、ちゃんと手元に届き本当に嬉しかったです。探してる本が有る方は、是非、試してみてください(使い方はリンク参照:
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=3011#re)
こうやって、ずっと欲しかった本が手に入り、しかも読むことで、認識を改めたり未来に向けて考えるきっかけになったわけですから、本当に読みたいと思い続けて良かったです。
君が望むなら、それは強く応えてくれるのだ^o^
もっと紹介したいこともあるのですが、この辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました。では、また次の本の感想でお会いしましょう。