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私の摂食障害覚書2

治さないといけない

自分が病気なのだとわかってから1年、ついに食べることを決意します。

ところが、お腹を壊すとか胃が痛くなるとか、しばらく食べなかったことで消化機能の異常が起こるのかと思うとそうではないのです。

食べた後の罪悪感との戦い

ずっとずっと理想の体重のために重ねてきた努力が無になる悲しさ
毎日これを食べると決めて口に運び飲みこむと、悲しくて涙がボロボロと溢れてきます。不安で体重計に乗って100gでも増えているとまた涙が出る
それでも、食べるんだ。食べないと治らないんだと繰り返し自分に唱えて食べました。
食べた私をみて喜ぶ両親を見ても不安になる。
それでも、食べたいもの食べよう。何食べたっていいんだからと言い聞かせ、死ぬか食べるかの天秤を上下させながら、日々口に食べ物を押し込んでいくうちに、徐々に涙も出なくなってきました。

心配してもらえなくなる不安もあったのか、友達にも「よかったね」と言われると
辛かった。それから半年、なんとか普通の生活ができるようになりました。
しかし!驚いたことに食べ始めると今度は水を飲んでも太る。枯渇していた身体は
本人の意思と関係なく栄養を吸収してしまうのです。
ついに次の4月の健康診断はまた10Kg増。
また保健室に呼ばれました。
毎年10kgずつ体重が変化してますけどこれは正しいですか?

自分でも笑うしかなかったです。そして「はい、正しいです」と、、
増えてしまった体重はしばらくすると少し減ってきて最終的には安定したのか、受験の年になってだんだんと気持ちがそちらに向いてきたのか、いつしか気にならなくなりました。
その頃、母の同僚の息子さんが同じ状態になっていると聞きました。
その子は体重が減りすぎて入院。栄養を取るための点滴も自分で抜いてしまっていたようです。それからどうしたかは聞いていません。
その後、中学の同級生も同じ病で亡くなりました。

後になって、自分が死とごく近いところまで行っていたと思うと、やっぱり生きていて良かったと思えました。

とはいえ、私の性格は大学でも、オペラの研究生時代もその傾向は続いており、大学の同級生と馴染めなくて友達を作れずに図書館にいたかと思うと、あるきっかけで仲良くなった友達と文化祭の実行委員をやったり、オペラの授業に行く日はいつも途中でお腹を壊しているのに、いつの間にか舞台で仕事をするようになったり、社交性があってリーダー的な面と神経質でこだわりから抜けられない面は常に両側にぶつかりながら生きてきたように思えます。
そして今再び、老いていく自分の不安から健康で前向きでいるために食事の栄養コントロールは必須と決めて、毎日記録式ダイエットアプリを打ち込みながら、あの日の自分を思い出し、どこかに変わっていない自分がまだいることを感じています。
ただあの頃と大きな違いは、自分を客観視できるようになったことでしょうか?
ストイックになりすぎないところで自分を許してコントロールするようになりました。

今後については分かりませんが、今現在摂食障害で辛い思いをされている方へ

私は意志の強い性格ゆえにこの病気に陥り、結果その意思で克服しました。
でも性格は人それぞれなので克服しようにもどうすればいいのかわからずに悩んでおられる方もたくさんいると思います。
ただ一つ言えることは、今日一日生きることから始めてほしい。
何もできなくても、何も食べられなくても、必要とされなくても、ほしいものがなくても空気を吸っているだけでも、まず1日を生きてほしい。いつか必ず答えが出るから

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