初心にかえろう2 演出家K先生の思い出
演出家 栗山昌良
私がオペラの仕事を始めた時に、ほぼ全ての本公演を演出されていたのが栗山昌良先生でした。先生は2023年6月にその97歳の生涯を終えられました。
私はオペラの合唱メンバーとして仕事をしていたので、先生は顔は覚えていても、私の名前はご存知なかったと思います。
でも直伝ではなかったものの、20年間先生の演出で仕事をして教えられたことは、今の自分に深く刻み込まれているのです
その先生の思い出を書いた2009年の文章を記します
2009.9.21 あるオペラの稽古の日
稽古場の控え室はまだ稽古前だというのにひそひそ声です。
みんな出足も早いし、表情もこわばってる!
「どう?」
「そんなでもないみたい」
「ほんと!」
「でも さっきちょっと やってた!」
事情を知らない人にとっては、なんのこっちゃい?という会話
初舞台の稽古でやっとこさっとこ浴衣を着込んだあの日の私も、ある日のこの先輩達の会話を聞いて
なんのこっちゃい?
と思いました。でもその日の控え室は、間違いなくピリピリムードです。
「来た?」「キターーーっ!」
なにが?
やってきたのは小柄なおじさん、口をキッとへの字に結んで、眉はグイとつりあがり、眼鏡の奥には小さいけど針のようにするどい目線を感じます
このすさまじいオーラこそ、泣く子も黙る演出家栗山先生です
歌ばっかり歌って、演技のいろはも知らずにオペラ界に入った歌手達を
徹底的なスパルタ教育で舞台のなんたるか、演技の何たるかを教えた人物。
その怒鳴り声ときたら、マグニチュード7か8くらいあり、稽古場にいる全員が動けなくなる。しかもあまり演技が得意でない方は、哀れにもその矛先が向き、右を向いても左を向いても、息しても怒鳴られ、泣きたくなっても演じさせられるという市中引き回しの刑みたいな目に会う。
合唱団の中にいた私はそれほどまでの目に会ったことはありませんでしたが、その大爆発に何回遭遇したことか、、、
でも・・・・
それもすべて、妥協の無い舞台作りへの気迫!
観客に「見せる」事への責任感!
苦しい時代を経て、失った多くのものの中で、信念を貫き通した熱意!
戦後、どんどん幸せになり、恵まれた人間が守られた生活の中でいつの間にか忘れてしまう厳しさ。そういう甘やかされた若い歌手を見る度に先生はきっと怒りがこみ上げて来ていたのだと思います
いまや、外国人の演出家との仕事も多くなり、怒鳴らなくても良いプロダクションを作ることはできるし、演ずる側も不必要な緊張をすることもなくなりました。
栗山先生のスタイルは少し時代とはずれて来たようにも感じます
だから、今こそ初心に返りたい
今日は初の先生の稽古に、みんなすでに緊張しています
でも私はと言えば、とても楽しみでした。
確かに怒鳴ればやっかいですが、先生はいつも丁寧に演技指導もしてくれました。先生演出のヘンゼルとグレーテルで、カルメンで、椿姫で、そしてバタフライで、私は演ずることを学びました。今この身体にしみ込んだ動きはすべて先生から教わったものです
その先生も83歳
あと何回先生と仕事ができるのか?あと何回怒鳴る場面が見られるのか?
さて稽古開始!
制作スタッフが紹介します
「本公演演出の・・・・さんです」
みんなが拍手すると、先生は両手を下に動かして拍手を止め
「拍手なんてしたってダメだよ、ちゃんとやってくれなきゃ」
と早くも威圧感たっぷりです
でも、その仕草も、ねじれたような高めの声も、ちょっと舌足らずな口調も
何も変わっていません
その声のなんとなつかしいこと!
私はあの若かった頃に教えていただいたことの感謝でいっぱいでした。
先生の教えが、今の私にどう備わっているのか?
そのお話はまた今度