習い事今昔
はい
と渡されたお月謝袋の下の方が膨れていて、触るとジャリジャリした感触がありました。え?と思って中を見ると、百円玉、十円玉、穴の空いているのは五十円玉?
小銭がザクザク入っています。
千円札が1枚足りなかったようで、小銭をかき集めてきて入れたのだと思います
一眼見ただけでは金額の確認もできません。これを出して、一つずつ数えるのか?
ちょっと前の私なら
ざけんな!と心で叫び、親にも猛烈に怒ったと思いますが、最近社会の常識感のズレを受け止めているので一旦月謝袋は置いて、レッスンに集中しました。
そして、レッスン後迎えにきたお母さんに、丁重に
「これは、ちょっと困ります」と袋を返すと、お母さんは
「細かすぎますか? でも1千万円札でお釣りも良くないですよね?」
というので、それには答えず
「ええちょっと、これは困ります。次回でいいので入れ直してきてください」と言って返しました。
ここで、昭和初期生まれの母親から生まれた、昭和30年代生まれにとっての習い事の常識感についてご説明いたします。
習い事は自分ができないことを、その道の技術を持った人に教えていただくことでした。昔は師匠と弟子という言い方をして弟子は師匠の付き人やお世話をしながらその技を伝授してもらうという伝統芸能は今でもあります。
日本はその文化もあってか伝統芸能でなくとも何かを習うとは
教えていただく
ことが前提でした。そしてそのために払うお月謝はまさに「謝」御礼であり、日本ならではの習慣で封筒に入れて封筒の前後も先生に上から縦になるように向けて両手で渡すのが礼儀でした。そこにはお金だけではなく、気持ちも添えられていたのです。
感謝の気持ちをお金で表す習慣はご祝儀などもありますが、他に季節ごとに先生にはお中元(夏)お歳暮(冬)を持っていき、日頃の感謝を表したし、発表会でも参加費だけでなく、ご祝儀を出すお家もありました。ご祝儀でなくとも、発表会は一つの成果に導いてくれた節目としても感謝の気持ちでお菓子やお花を持っていくこともありました。
そして子供が小さい時はもちろん親が一緒にご挨拶をします。
お月謝について言えば、前月の終わり、もしくは月初めに納め、そのために綺麗なお札を用意してあり、お月謝だけでなくご祝儀を出す時用に綺麗なお札は用意してありました。
これが昭和スタイル
ですから小銭事件が、この常識を持っている人間にとって、どれだけギャップがあるかお分かりでしょう。
お金じゃなくても、日本には古くから気持ちを形で伝える独特のスタイルがあったと思います。それは相手の気持ちになることから発しています。
うっかり準備を忘れることは誰でもあると思いますが、細かい貨幣をざくざく紙の封筒に入れて持っていくことは、持ってこられた相手の気持ちを考えているのか?
電子マネーが使われるようになって、お月謝を電子マネーで払うのも良いことにしました。時代とか文明に対応するのは別に失礼ではありません。支払い履歴が残るのも助かります。
ただ、どんなに文明が進んでも、日本の心遣いはどこかにあって欲しいと思うのです
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